川南小と川南公園は地域・児童にとって緊密な関係にあるようです。訪ねた日曜日には、学校の校庭と公園広場とで地域の町会・子供会(?)の催し物「川南まつり」をやっていました。
説明板。
川南公園の歴史
川南公園は、大正12年の関東大震災からの復興計画でできた公園で、開園は昭和6年です。震災復興計画公園は、江東区内では川南公園のほかに6つあります。
公園内の西側にあるすべり台はおそらく開園当時につくられたものと思われます。
川南の名称はもとのこの地の地名で水運の動脈であった小名木川の南に位置していたことからつけられたそうです。
この解説文では、開園当時の「学校(と一体になった)公園」つくりという重要な視点が記されていません。
校庭と公園の出入口。
公園側から校舎を望む。この辺りは東京大空襲で周囲は壊滅状態。鉄筋コンクリートの校舎の外壁は残りましたが、内部は消失。
大正期の関東大震災、さらに昭和の大空襲で二度大きな被害に遭っているわけです。戦後、復興した校舎の位置は、戦前とほとんど変わりません。公園は、学校側にプールができ、手狭な印象。
このように、各小学校にプールを設置することになり、敷地の狭い学校では隣接していた公園の一部をプール建設地にあてるという事態に、その結果、公園が狭隘な空間になってしまうケースも出てきました。
公園入口から中央付近。
説明板にあった二連式滑り台。
正面に子どもを描いたレリーフがあります。
レリーフが古風な印象。
公園の西側から東を望む。
お祭りの片付けなど子ども達も大勢いました。
残念ながら「パーゴラ(藤棚)」はありせん。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/06/fd/e3df8045b93da88225a19b5783b8dd3b.jpg)
川南公園の歴史
川南公園は、大正12年の関東大震災からの復興計画でできた公園で、開園は昭和6年です。震災復興計画公園は、江東区内では川南公園のほかに6つあります。
公園内の西側にあるすべり台はおそらく開園当時につくられたものと思われます。
川南の名称はもとのこの地の地名で水運の動脈であった小名木川の南に位置していたことからつけられたそうです。
この解説文では、開園当時の「学校(と一体になった)公園」つくりという重要な視点が記されていません。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6c/44/4344c03c2a2c1a741c06cafe109c38b6.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/61/e3/561410a8c6ab5c43754bde74038be3ce.jpg)
大正期の関東大震災、さらに昭和の大空襲で二度大きな被害に遭っているわけです。戦後、復興した校舎の位置は、戦前とほとんど変わりません。公園は、学校側にプールができ、手狭な印象。
このように、各小学校にプールを設置することになり、敷地の狭い学校では隣接していた公園の一部をプール建設地にあてるという事態に、その結果、公園が狭隘な空間になってしまうケースも出てきました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/09/56/a1b19220ef59c09ff0ed307bb8eea694.jpg)
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