「保土ケ谷一里塚跡・上方見附跡」(保土ケ谷2丁目)から「権太坂」へと向かいます。案内図に沿って、国道1号線から脇道に入ります。
旧東海道。激しく車が行き来する国道1号線とJR東海道線に挟まれた道路。静かな住宅街。
この途中に、「元町橋跡」の標柱が立っているらしいが、見落としてしまった。バス停「元町橋」近く?
名のごとく、この辺りが、「元・保土ケ谷」地区。
「元町ガード」という標識のあるT字路を左折して、「今井川」に架かる現「元町橋」を渡り、しばらく行き右折すると、「権太坂」に。
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1880年代のようす(「歴史的農業環境閲覧システム」より)。赤い○が現在の「元町ガード」交差点。
「旧東海道・権太坂改修記念碑」。坂を登りはじめてすぐ左。
けっこう急な上り。ママチャリのご婦人は自転車を引いて上っていました。下りは危ないほどスピードが出て若者が通りすぎて行きました。
前に見えるのが、「保土ヶ谷バイパス」の「新保土ヶ谷IC」と「狩場ICとの間」を渡る陸橋。
保土ヶ谷バイパスは丘陵地帯を切り開いて造った道路。
「権太坂」は急坂の難所であったため、1894(明治27)年には、新しい権太坂経由の幅の広い東海道が開通している。
国道1号線。「権太坂上」交差点付近。
明治末期ころ(「今昔マップ」より)↓が旧東海道、赤い線が新東海道。
現代(「同」より)。
竹藪。
「横浜光陵高校」の石垣の角に「権太坂の石柱と説明板」が立っていました。
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横浜市地域史跡(平成15年11月4日登録)「権太坂」
この辺りは、権太坂と呼ばれる東海道を江戸から西へ向かう旅人がはじめて経験するきつい登り坂でした。
日本橋から四番目の宿場であった保土ヶ谷宿まではほぼ江戸内湾沿いの平坦地でしたが、宿の西にある元町橋を渡ったあたりより、長く続く険しい登り坂となります。
「新編武蔵風土記稿」に、名前の由来は、道ばたの老齢の農民に旅人が坂の名を聞いたところ、耳の遠いこの老人は自分の名を聞かれたと思い、「権太」と答えたため、とあります。また、坂の上から目の下に見える神奈川の海は大変美しかった、とあります。
旅人にとっては印象深い場所になり、浮世絵などにも描かれる保土ヶ谷宿の名所ともなりました。
平成16年3月 横浜市教育委員会
振り返って望む。左手が「光陵高校」。
もともとこの高校、横国大の付属国立高校として計画されたようです。県立の進学校。
ところで、校名の由来:
山手分校時代の学生・職員達によって命名された。県立高校で地名に由来しない校名が付けられたのは1960年代当時は非常に珍しかった。権太坂に因んだ「権太坂高等学校」という校名も候補の一つであったが、女子生徒陣の猛反対に遭い実現しなかった。(以上、「Wikipedia」より)
「女子生徒陣の猛反対」というのが、興味深い。「陣」というから集団で猛反対したのでしょうか? ほぼ真向かいには、「権太坂小学校」があります。
広い敷地をもつ学校。
下校中の女生徒。最寄りの交通手段は坂上か坂下のバス路線? 毎日この坂を上り下りするだけで、体力も精神力もつきそう。
「歴史の道 権太坂」の説明板。
歴史の道【権太坂】
権太坂はかつては今より勾配もきつい相当な急坂で、江戸から上方へ上る旅人が初めて出会う難所として知られていました。松並木が続く景色もよかったため多くの浮世絵にも描かれています。しかし、明治17年(1884)の新道開通や明治20年(1887)の鉄道開通により 旧道は通行量も減って道幅も狭くなりました。権太坂にはもともと人家もほとんどなかったため、昭和30年代に本格的に道が改修されて、宅地開発が進むまで往時の街道のおもかげを残していました。
「権太坂」の名前の由来に2つの説
その1 「老人の返事」説
ある時、旅人がこの坂で近くにいたお年寄りに坂の名をたずねたところ、自分の名前をきかれたと思いこみ、「ごんたでございます」と答え、その名が坂の名になったということです。
その2 「本当は権左坂」説
昔、権左衛門という人が代官の指図によりひらいてできた坂道を、その名をとって「権左坂」と名付けたものが、いつのころか「権太坂」と呼ばれるようになったということです。
さて、あなたはどちらを信じますか?(調査協力/権太坂小学校 平成15年度卒業生)
平成16年3月 保土ヶ谷区役所
しばらく緩やかな坂道を10分ほど進むと、丁字路に突き当たる。その正面に「境木中学校・境木小学校」がある。右角には「境木中学校前バス停・折り返し場」。
「投込塚之跡」の碑。
T字路を左折ししばらく行くと、投込塚の碑があり、碑文の他に庚申塔など三基の石碑が建っている。
投込塚之跡
此の地は権太坂投込塚と称し、旧東海道品濃坂につぐ難所であって、往時旅人の行倒れせし者多く、之を埋葬せる処也。偶々当地区開発に当り、多数の白骨を発掘現在平戸町東福寺境内にて再埋葬供養碑を建て之が菩提を弔ひしもの也
昭和39年4月建之
「碑」の前の通りをそのまま進むと、新道(「国道1号線」)の「権太坂上」という標識の交差点に出る。左折して新道を進むと、「保土ケ谷」方向になる。
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この途中に、「元町橋跡」の標柱が立っているらしいが、見落としてしまった。バス停「元町橋」近く?
名のごとく、この辺りが、「元・保土ケ谷」地区。
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「権太坂」は急坂の難所であったため、1894(明治27)年には、新しい権太坂経由の幅の広い東海道が開通している。
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「横浜光陵高校」の石垣の角に「権太坂の石柱と説明板」が立っていました。
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横浜市地域史跡(平成15年11月4日登録)「権太坂」
この辺りは、権太坂と呼ばれる東海道を江戸から西へ向かう旅人がはじめて経験するきつい登り坂でした。
日本橋から四番目の宿場であった保土ヶ谷宿まではほぼ江戸内湾沿いの平坦地でしたが、宿の西にある元町橋を渡ったあたりより、長く続く険しい登り坂となります。
「新編武蔵風土記稿」に、名前の由来は、道ばたの老齢の農民に旅人が坂の名を聞いたところ、耳の遠いこの老人は自分の名を聞かれたと思い、「権太」と答えたため、とあります。また、坂の上から目の下に見える神奈川の海は大変美しかった、とあります。
旅人にとっては印象深い場所になり、浮世絵などにも描かれる保土ヶ谷宿の名所ともなりました。
平成16年3月 横浜市教育委員会
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/74/24/f2aa8c4025de4431466f82d3e350c651.jpg)
もともとこの高校、横国大の付属国立高校として計画されたようです。県立の進学校。
ところで、校名の由来:
山手分校時代の学生・職員達によって命名された。県立高校で地名に由来しない校名が付けられたのは1960年代当時は非常に珍しかった。権太坂に因んだ「権太坂高等学校」という校名も候補の一つであったが、女子生徒陣の猛反対に遭い実現しなかった。(以上、「Wikipedia」より)
「女子生徒陣の猛反対」というのが、興味深い。「陣」というから集団で猛反対したのでしょうか? ほぼ真向かいには、「権太坂小学校」があります。
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歴史の道【権太坂】
権太坂はかつては今より勾配もきつい相当な急坂で、江戸から上方へ上る旅人が初めて出会う難所として知られていました。松並木が続く景色もよかったため多くの浮世絵にも描かれています。しかし、明治17年(1884)の新道開通や明治20年(1887)の鉄道開通により 旧道は通行量も減って道幅も狭くなりました。権太坂にはもともと人家もほとんどなかったため、昭和30年代に本格的に道が改修されて、宅地開発が進むまで往時の街道のおもかげを残していました。
「権太坂」の名前の由来に2つの説
その1 「老人の返事」説
ある時、旅人がこの坂で近くにいたお年寄りに坂の名をたずねたところ、自分の名前をきかれたと思いこみ、「ごんたでございます」と答え、その名が坂の名になったということです。
その2 「本当は権左坂」説
昔、権左衛門という人が代官の指図によりひらいてできた坂道を、その名をとって「権左坂」と名付けたものが、いつのころか「権太坂」と呼ばれるようになったということです。
さて、あなたはどちらを信じますか?(調査協力/権太坂小学校 平成15年度卒業生)
平成16年3月 保土ヶ谷区役所
しばらく緩やかな坂道を10分ほど進むと、丁字路に突き当たる。その正面に「境木中学校・境木小学校」がある。右角には「境木中学校前バス停・折り返し場」。
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T字路を左折ししばらく行くと、投込塚の碑があり、碑文の他に庚申塔など三基の石碑が建っている。
投込塚之跡
此の地は権太坂投込塚と称し、旧東海道品濃坂につぐ難所であって、往時旅人の行倒れせし者多く、之を埋葬せる処也。偶々当地区開発に当り、多数の白骨を発掘現在平戸町東福寺境内にて再埋葬供養碑を建て之が菩提を弔ひしもの也
昭和39年4月建之
「碑」の前の通りをそのまま進むと、新道(「国道1号線」)の「権太坂上」という標識の交差点に出る。左折して新道を進むと、「保土ケ谷」方向になる。
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