原題: Il conformista「同調者(体制順応主義者)」。原作はイタリアの作家アルベルト・モラヴィアの小説『孤独な青年』。邦題は(この映画にかぎったことではなく)集客のためではあるが、映画全体のテーマとずれていると感じる場合がある。
暗殺シーンが雪の中の森で行われたことにあるからなのだろうが・・・。
当時の、ドイツ・ヒトラーと呼応したイタリアのムッソリーニ・ファシスト体制に順応した男の生き様を描いたもので、原題のままの方がいいのではなかったか?
哲学講師のマルチェロ(ジャン=ルイ・トランティニャン)は少年の頃、同性愛者の男に性的関係を強要され、射殺した過去を持っている。父は、発狂して精神病院に、母は若い愛人と退廃的な生活をしている。
盲目の友人でファシストのイタロのすすめでムッソリーニ・ファシスト党の一員となった彼は、大学時代の恩師で、パリに亡命中の反ファシスト運動者のクアドリ教授の身辺調査を命じられる。。
マルチェロは婚約者のジュリア(ステファニア・サンドレッリ)との新婚旅行を名目にパリへと向かう。マルチェロたちは、教授夫妻に歓迎される。マルチェロはクアドリの新妻アンナ(ドミニク・サンダ)に惹かれ、目的を見抜かれてしまうが、関係を持ってしまう。途中で、クアドリを暗殺することの指令が届く。
マルチェロはジュリアからクアドリ夫妻が別荘へ向かうことを聞かされる。マルチェロはクアドリ夫妻の車を追うが、道中で他の秘密警察たちによってクアドリは刺殺され、アンナは、マルチェロの乗った車まで逃げてきたが、マルチェロは拒絶し(銃声が2発発射される)。絶望的に逃げ惑うアンナは死んでしまう。目の前で行われたテロに、マルチェロは車内から冷然と見ているだけであった。
数年後。ムッソリーニ政権が崩壊し、ファシストの時代も終わりを迎えた。ファシストとしてそれなりの地位にあったマルチェロ夫妻にはすでに子どもがいる。妻との関係は冷たい。
ファシスト狩りを恐れる友人イタロに呼び出されたマルチェロは、二人で夜の街を歩いているとき、かつて少年時代に銃殺したはずの男の姿を目撃、クアドリ襲撃班の一員でもあったことに気づく。衝撃を受けたマルチェロは、群衆に向かってその男とイタロがファシストの一員であると叫ぶ。・・・ラストは、ホモの若い男のもとにうずくまるマルチェロ。静かに古い歌が流れる。
マルチェロ(ジャン=ルイ・トランティニャン)
ジュリア(ステファニア・サンドレッリ)
アンナ(ドミニク・サンダ)
監督・脚本
ベルナルド・ベルトルッチ
原作
アルベルト・モラヴィア
『孤独な青年』
この監督は、『ラストタンゴ・イン・パリ』や『ラスト・エンペラー』など話題作を発表している。
※画像は「予告編」(youtube)より。
展開は、過去と現在が絡んでおもしろい。さらに1930年代の設定でここかしこにそうした時代背景を描く事物が映像化されていたが、現代的な舞台装置、ショットも、斬新な印象。精神病院に入院している父との面会場面での無機質な空間。遠景のエッフェル塔と手前の広い石畳(まだドイツナチスに占領されない頃の)パリのブルジョア的な華やかさと荒涼とした状況が対照的。
また、白と黒のコントラストが有効に用いられ、帯状の光の陰影、直線的・幾何学模様など随所に登場。
その他、人物を斜めに俯瞰するショット。雪の森の中での殺害シーン(映像の美しさ?に負けて人物の動作、表情が今ひとつ。撮影も大変だったのだろうが)。ラストの洞窟のような場所も、教授の暗示的な発言と呼応している。
斬新なセットとカメラワークが魅力的。戦前の人間描写や風景描写というよりも、監督の今の(映画製作当時の)心象風景にこだわったつくりでした。映像、衣装、音楽・・・、細部まで計算された演出でした。
中華料理店でのクアドリ教授夫妻との会食シーン。それぞれ器用に箸を操っていましたが、ジュリアだけは箸を両手で食べ物を切り取っているだけで口に持っていっていないような・・・。
今や懐かしい歌となった労働歌「インターナショナル」がスミレの花売り親子の歩きとともに流れてきたのには、びっくり。
暗殺シーンが雪の中の森で行われたことにあるからなのだろうが・・・。
当時の、ドイツ・ヒトラーと呼応したイタリアのムッソリーニ・ファシスト体制に順応した男の生き様を描いたもので、原題のままの方がいいのではなかったか?
哲学講師のマルチェロ(ジャン=ルイ・トランティニャン)は少年の頃、同性愛者の男に性的関係を強要され、射殺した過去を持っている。父は、発狂して精神病院に、母は若い愛人と退廃的な生活をしている。
盲目の友人でファシストのイタロのすすめでムッソリーニ・ファシスト党の一員となった彼は、大学時代の恩師で、パリに亡命中の反ファシスト運動者のクアドリ教授の身辺調査を命じられる。。
マルチェロは婚約者のジュリア(ステファニア・サンドレッリ)との新婚旅行を名目にパリへと向かう。マルチェロたちは、教授夫妻に歓迎される。マルチェロはクアドリの新妻アンナ(ドミニク・サンダ)に惹かれ、目的を見抜かれてしまうが、関係を持ってしまう。途中で、クアドリを暗殺することの指令が届く。
マルチェロはジュリアからクアドリ夫妻が別荘へ向かうことを聞かされる。マルチェロはクアドリ夫妻の車を追うが、道中で他の秘密警察たちによってクアドリは刺殺され、アンナは、マルチェロの乗った車まで逃げてきたが、マルチェロは拒絶し(銃声が2発発射される)。絶望的に逃げ惑うアンナは死んでしまう。目の前で行われたテロに、マルチェロは車内から冷然と見ているだけであった。
数年後。ムッソリーニ政権が崩壊し、ファシストの時代も終わりを迎えた。ファシストとしてそれなりの地位にあったマルチェロ夫妻にはすでに子どもがいる。妻との関係は冷たい。
ファシスト狩りを恐れる友人イタロに呼び出されたマルチェロは、二人で夜の街を歩いているとき、かつて少年時代に銃殺したはずの男の姿を目撃、クアドリ襲撃班の一員でもあったことに気づく。衝撃を受けたマルチェロは、群衆に向かってその男とイタロがファシストの一員であると叫ぶ。・・・ラストは、ホモの若い男のもとにうずくまるマルチェロ。静かに古い歌が流れる。
マルチェロ(ジャン=ルイ・トランティニャン)
ジュリア(ステファニア・サンドレッリ)
アンナ(ドミニク・サンダ)
監督・脚本
ベルナルド・ベルトルッチ
原作
アルベルト・モラヴィア
『孤独な青年』
この監督は、『ラストタンゴ・イン・パリ』や『ラスト・エンペラー』など話題作を発表している。
※画像は「予告編」(youtube)より。
展開は、過去と現在が絡んでおもしろい。さらに1930年代の設定でここかしこにそうした時代背景を描く事物が映像化されていたが、現代的な舞台装置、ショットも、斬新な印象。精神病院に入院している父との面会場面での無機質な空間。遠景のエッフェル塔と手前の広い石畳(まだドイツナチスに占領されない頃の)パリのブルジョア的な華やかさと荒涼とした状況が対照的。
また、白と黒のコントラストが有効に用いられ、帯状の光の陰影、直線的・幾何学模様など随所に登場。
その他、人物を斜めに俯瞰するショット。雪の森の中での殺害シーン(映像の美しさ?に負けて人物の動作、表情が今ひとつ。撮影も大変だったのだろうが)。ラストの洞窟のような場所も、教授の暗示的な発言と呼応している。
斬新なセットとカメラワークが魅力的。戦前の人間描写や風景描写というよりも、監督の今の(映画製作当時の)心象風景にこだわったつくりでした。映像、衣装、音楽・・・、細部まで計算された演出でした。
中華料理店でのクアドリ教授夫妻との会食シーン。それぞれ器用に箸を操っていましたが、ジュリアだけは箸を両手で食べ物を切り取っているだけで口に持っていっていないような・・・。
今や懐かしい歌となった労働歌「インターナショナル」がスミレの花売り親子の歩きとともに流れてきたのには、びっくり。
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