おやじのつぶやき

おやじの日々の暮らしぶりや世の中の見聞きしたことへの思い

秩父鉄道三峰口駅~西武観光バス「秩父湖」。その1。強石。金蔵落としの渓流。大血川。(「荒川を遡る」第10日目。)

2021-08-02 21:41:35 | 荒川を遡る

                        秩父鉄道「三峰口」駅。

久々の「荒川を遡る」。

7月31日(土)。曇りのち晴れ。炎天下の歩き。時々、木陰が道路上まで伸びて。それでも、これほど蒸し暑いとは!

歩き出したトタンに汗が噴き出します。一面の豊かな緑が助けに。

秩父鉄道「三峰口駅」から「白川橋」を渡り、国道140号線(彩甲斐街道・秩父往還)へ。

車道沿いの道を。

「秩父多摩甲斐国立公園」碑。

「荒川」左岸沿いの道。左手に荒川の流れが。

せせらぎの音と蝉の声はしきりに、大きく聞こえますが、荒川の流れは所々で垣間見るのみ。

「馬頭尊」などの石仏群。

「強石(こわいし区」。

解説板。

秩父多摩甲斐国立公園及び大滝の玄関口である強石は大正時代に県道が開通した頃から物資が集まる交通の起点として大いににぎわいを見せた。馬車の発着点、木炭の問屋、銀行の支店、飲食店、菓子店、旅館などあらゆる種類のお店が軒を連ね、昭和40年代までにこのにぎわいは続いた。現在は、宿が一軒営業し、ほぼ生活の場となっている。強石は、巨大な岩石が多く、落石があり交通の難所出会ったために名づけられたといわれている。

右手の高台に住居が広がります。

荒川に架かる「万年橋」。

「荒川」。渓谷に。

右手から導水管。

右岸に小さな集落。

深い谷。

少しずつ上りに。振り返る。

    

右手にオーバーハングの巨岩。

右手の高台には「光の村養護学校秩父自然学園」。それを過ぎると一段と渓谷美に。

            

この付近が「金蔵落しの渓流」。

紅葉の時期にはさぞかし見事。

「金蔵落しの渓流」は「大血川渓谷」とも呼ばれます。

「大血川」という名前の由来については平将門伝説に因むもので、2つの説がある。 一つは承平天慶の乱により平将門が討死した際に、大陽寺に隠れ住んでいた平将門の妻、桔梗と従者99人が川の源流付近で集団で自害したという説で、また、平将門が討死した際に自害ではなく、救いを求めて大陽寺に逃げ込む際に途中の大日向で追っ手の源経基らの襲撃に会い、打ち首にされたという説もある。いずれにせよその流血で川が七日七晩染まったことから大血川と呼ばれるようになったというものである。桔梗と従者99人を祀った九十九神社が大血川の傍らに建立されている。また、桔梗たちの墓といわれている桔梗塚も大血川地区の集落に残されている

もう一つは自害ではなく、桔梗らは無事に大陽寺にたどり着き、そこで平和に暮らしたという説で、近傍にある川がまるで大蛇(おろち)のように見えたたことから「おろち川」と呼ばれ、そのおろち川が訛化して大血川となったというものである[11]。なお、大血川には大蛇に関わる畠山重忠の出生伝説があり大陽寺で寺の大師諏訪湖に棲む大蛇の化身である女性の間に生まれた嬰児不浄に思い、近くの大血川に流した伝承が残されている。川に流された嬰児は現在の深谷市畠山に流れ着き、そこで畠山庄司重能に拾われ、畠山重忠として育てられたと言われている

(この項、「Wikipedia」より)

一方、「金蔵落し」は、この地で遭難した人の名からとったようです。どちらも、物騒な伝説が残されています。

       (「ぶらっとちちぶ―秩父観光協会―」HPより)


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