「お疲れ様でした。」
「坂道は上ったり、下ったりでけっこう大変。」
「下り坂と上り坂と、どちらが多かったですか? 」
「そんなの、わかるわけないでしょ。」
「そういえば、お体がお悪いとか。」
「満身創痍ですよ。」
「でも、おやせになったようすもないし、お元気そうで。」
「むくんでいるだけですから。」
「・・・。それでもこうやって歩くんですから、たいしたものんですよ。」
「ま、そこは何とかかんとか。」
「ところで、富士見坂はどうでしたか? 」
「富士が見えるパネルはあった、というんで期待したんですが、なくてがっかり。」
「そしたら、その声を聞きつけてそのおうちの方が持ってきてみせてくれたん、ですって。」
「そうそう。」
「実は、まだあの近所で富士山が垣間見できるところがあるらしい。」
「エッ~」
「どうも個人のお宅の庭先のようで、公表していないようですよ。」
「そう、人がおしかけてきそうだしね。」
唐突に「乾杯~!」の音頭。
「どうもお疲れさまでした。」
年に一度の「都内の歴史散歩」。
今回は、「やねせん 味な散策」と題しての坂道散歩。
JR「西日暮里」駅。10時に集合して、
諏訪坂→富士見坂→佃煮屋→日本酒「山内」→朝倉彫塑館→夕焼けだんだん→夜店通り→コシヅカハム→リバティーパン→全生庵→蛇道→海上海(懇親会)というようなコース。
この企画をこのところ担当してくれる方。百名山に、地元のボーリング場に、蓼科の別荘に、国会前に、・・・と実に精力的に動き回って、生き生きとしている方。今回もおんぶにだっこ。
但し、去年、はじめちょろちょろ、なかぱっぱと大雨にたたられ、一昨年は大雨で中止と。今回は雨こそ降らなかったが、どうもぱっとしない天気の10月31日(土)。
雨男なんじゃないのと陰口をたたかれながらも、今回も、わがまま勝手なじじばば相手の案内役。
当方は、この辺りは来たことがあるのと、前日、富士山を東から南、西から北へとドライブしたのでお疲れ気味で「海上海」での「懇親会」のみ参加。
30日は、「薩埵(さった)峠」を皮切りに、朝霧高原から河口湖、と別のじじばばと回ってきたというわけ。いい天気で富士山が下までず~と丸見えのラッキーdayでした。
「全生庵は、円朝ゆかりの寺なんでぜひ、と思っていたんでよかったです。」
「あそこはアベが座禅でよく通っているところじゃないか。」
「エッ、それは知らなかった! 山岡鉄舟ゆかりのとか言っていたわ。」
「アベが座禅で澄んだ心になるとは思えんがなあ。」
「アベが行っているんで、けっこうはやっているらしいわね。」
「座禅だけじゃなくて、いろいろ生臭い密談もありそうな感じだが。」
「そういえば、その場で、自民党の総裁選のとき自分の他にだれが出馬するか、探りを入れたらしい。」
「へえ! そういう場でもあるんだ。」
「あいつらは生臭さそのもので生きている連中だから。」
「お寺もそれでいいのかなあ。」
「腹の中はどうだか。」
「ま、来る者は拒まず、去る者は追わず、という感じかな。」
「縁ある衆生はいらっしゃい。縁なき衆生は度しがたし、てなわけか。」
「あそこに行ったら、幽霊の絵を見せてもらわないと。」
「目が動いた、とかいう話ね。」
てな、戯れ言をいっているうちに、2時過ぎ。そこで解散。
「次回までお達者で・・・。」
まだ昼の内、元気な連中で二軒目に。飛び込んだお店が「豆腐カフェ&レストラン」。千駄木2-48-18「カテリーナ千駄木」1F。
お豆腐料理専門のお店。日本酒もおいしくて、あれこれ豆腐料理を注文しては飲み食い三昧。おつまみもすべて豆腐づくし・・・。なんでも「名水百選」「国産大豆」「天然にがり」・・・、マスターらしき男性と若い女性二人のこじんまりとしたお店。能書きのうるさいのが、少し、飲んべえには気になりましたが。値段も意外と安かった!
4時過ぎになって、ここもお開き。ついでに機関誌の編集会議(?)も終わって、帰途に。
さすが「やねせん」は、隠れた、味のある「散策」どころでした。
ところで、そのお店の名は、「豆腐roomDy’s 」。
「海上海」も昔懐かしい雰囲気のある、中国料理、とくに餃子が格別美味しいお店でした。
以前、撮った写真を。
唯一、区内で富士山が見えていた坂が、マンション建設によってまったく見えなくなってしまった! それでも、「富士見坂」は、富士山が見えなくても夕陽の光景が美しい坂道。
「全生庵」の方は。
ごあいさつ
三遊亭円朝(1839~1900)は幕末から明治にかけて落語界の大看板であると共に、「怪談牡丹燈籠」「真景累ヶ淵」「文七元結」などの原作者としても広く知られております。そして、今なお落語界はもとより歌舞伎をはじめ、演芸界全般に多大な影響を与え続けております。
また人格面においても、全生庵開基・山岡鉄舟の導きにより禅をよく修し、その淵源を極め、京都天竜寺の滴水禅師より「無舌居士」の号を付与され「芸禅一如」の境涯に達した人物であります。
全生庵に所蔵しております円朝遺愛の幽霊画コレクションは、円朝歿後その名跡を守られてきた藤浦家より寄贈されました。伝円山応挙というものから、柴田是真、菊池容斎、松本楓湖、伊藤 晴雨、河鍋暁斎など、幕末から明治の著名な画家達の筆による大変ユニークな幽霊画でございます。
全生庵では、毎年、円朝忌の行われる八月の一ヶ月間、幽霊画全幅を公開しております。十一日の円朝忌には、落語家により盛大な供養の会も行われまして、大勢の方々にお越しいただいております。
円朝辞世の句 「耳しいて聞きさだめけり露の音」
全生庵七世住職 平井正修
(HPより)
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