今度は、大泉学園駅から北西にある事業所に出かけました。このところ、老体に鞭打って、都内のあちこちの事業所に出かけることが増えてきまして・・・。
でも、出かけると新たな発見があって楽しみです。前回の砧線跡もその一つ。行ってみて気がついて、その驚きが楽しいですね。「大泉学園」という駅名から「学園町」というイメージがありますが、果たして・・・。
今回も出かける前に、gooの航空写真で「大泉学園」駅付近を確認しました。昭和22年。西南から東北にかけてうねるように緑の帯が続きます。周りは整地された田畑や住宅地がある中で、どうも不揃いで小さな田畑が続きます。その中を細い流れが蛇行しながら流れています。樹木に覆われたという感じではありません。用水路というような感じ。
昭和38年になると、田んぼがなくなり、住宅地として整備され始めます。流れも途中で直線に改修されたりしています。そして、現在。
それから、駅の東北には周りは田んぼや畑の中、広大な敷地の中に大小様々な建物が並んでいます。はて何かの工場かしら。昭和38年でもすでに周りは住宅地ですが、少し西側や南側に拡張されて存在しています。そして、現在。
大泉学園駅前から和光市駅行きのバスに乗りました。乗り場がちょっと分かりにくく、ドラッグストアの前の停留所から。
しばらくすると、大きな建物の前に停まりました。「東映東京撮影所前」。ここにあったのか、ちょっと驚きました。たしか時代劇は京都撮影所で、現代劇はここで。アニメなどもここで撮影していた!
バスは、細い路地を右に左に曲がり、バス同士がすれ違うのもやっと。広い道路に出ると、目の前には高速道路の橋脚が。大泉jct。関越道と東京外環との合流地点。その下を通り抜けてバスは北に向かって行きました。
帰り。どうしようかと迷いましたが、3,40分くらいならいいやと歩いて駅まで戻りました。写真はその時に撮ったものです。
写真で見た川の名前は、「白子川」。東京都練馬区東大泉の区立大泉井頭(いがしら)公園(湧き水)から始まり、練馬区西大泉、大泉学園町、大泉町、土支田、埼玉県和光市南、白子、下新倉、板橋区成増と流れ、笹目橋付近で新河岸川に合流するそうです。昭和22年の写真では、井頭公園からもう少し上流にも流れがあって、「新川」と呼ばれたとのことです。
現在は、高速道路の下をコンクリートで囲われた堀割を直線で東に向かっています。
jct近くには、この川の氾濫対策としていざというときの遊水池が出来ていて、底の浅いすり鉢状の土地には、グランドが。その近くはせせらぎ公園風に整備され、遊歩道・ジョギングコースもあったり、湧き水もあって、樹木に覆われた憩いの場所になっていました。
ちょっと方角を間違えてうろうろしたあげく、「東映通り」の標識を見つけ、一安心。
その道を駅まで向かいました。右手には色々の商業施設の入った、華やか雰囲気のシネマ館。左手は「LIVIN」の大きな建物。
この撮影所の歴史。
戦前は「新興キネマ東京撮影所」として1935年(昭和10年)2月に開所(当時は東京市板橋区東大泉町)、同社の現代劇部として稼動。1942年(昭和17年)、新興が日活および大都映画と合併して大映となるとすぐに閉鎖されたが、戦後1947年(昭和22年)、「株式会社太泉スタヂオ」が東急の資本によって設立され、貸しスタジオとなる。この時代に新東宝が借りて『野良犬』(黒澤明監督)が撮影される。同社は「太泉映画株式会社」と改称して自社製作に乗り出す。
その後、東映のスタジオとして1951年(昭和26年)4月1日、東横映画(撮影所)、太泉映画、東京映画配給の3社が合併して、「東映株式会社」を設立、東横映画撮影所は「東映京都撮影所」に、太泉映画スタジオは「東映東京撮影所」となった。
(以上、ウィキペディアより。「大」が「太」となっているのが興味深い。単なる間違いとは思えませんが)
現在、かつてオープンセットであった敷地内にLIVINオズ大泉店、旧正門のあったあたりにシネマコンプレックス「T-JOY大泉」が併設されていますが、敷地に入ると撮影所は今でも現役のようです。京都太秦の撮影所は観光コースとして一時ほどではないですが、賑わっています。時代劇と現代劇の撮影場所という違いでしょうか。
高速道路下
右が白子川の流れ、左手が遊水池。
湧き水
撮影所内の建物、昭和38年の航空写真にも写っている。
撮影所前の通り
でも、出かけると新たな発見があって楽しみです。前回の砧線跡もその一つ。行ってみて気がついて、その驚きが楽しいですね。「大泉学園」という駅名から「学園町」というイメージがありますが、果たして・・・。
今回も出かける前に、gooの航空写真で「大泉学園」駅付近を確認しました。昭和22年。西南から東北にかけてうねるように緑の帯が続きます。周りは整地された田畑や住宅地がある中で、どうも不揃いで小さな田畑が続きます。その中を細い流れが蛇行しながら流れています。樹木に覆われたという感じではありません。用水路というような感じ。
昭和38年になると、田んぼがなくなり、住宅地として整備され始めます。流れも途中で直線に改修されたりしています。そして、現在。
それから、駅の東北には周りは田んぼや畑の中、広大な敷地の中に大小様々な建物が並んでいます。はて何かの工場かしら。昭和38年でもすでに周りは住宅地ですが、少し西側や南側に拡張されて存在しています。そして、現在。
大泉学園駅前から和光市駅行きのバスに乗りました。乗り場がちょっと分かりにくく、ドラッグストアの前の停留所から。
しばらくすると、大きな建物の前に停まりました。「東映東京撮影所前」。ここにあったのか、ちょっと驚きました。たしか時代劇は京都撮影所で、現代劇はここで。アニメなどもここで撮影していた!
バスは、細い路地を右に左に曲がり、バス同士がすれ違うのもやっと。広い道路に出ると、目の前には高速道路の橋脚が。大泉jct。関越道と東京外環との合流地点。その下を通り抜けてバスは北に向かって行きました。
帰り。どうしようかと迷いましたが、3,40分くらいならいいやと歩いて駅まで戻りました。写真はその時に撮ったものです。
写真で見た川の名前は、「白子川」。東京都練馬区東大泉の区立大泉井頭(いがしら)公園(湧き水)から始まり、練馬区西大泉、大泉学園町、大泉町、土支田、埼玉県和光市南、白子、下新倉、板橋区成増と流れ、笹目橋付近で新河岸川に合流するそうです。昭和22年の写真では、井頭公園からもう少し上流にも流れがあって、「新川」と呼ばれたとのことです。
現在は、高速道路の下をコンクリートで囲われた堀割を直線で東に向かっています。
jct近くには、この川の氾濫対策としていざというときの遊水池が出来ていて、底の浅いすり鉢状の土地には、グランドが。その近くはせせらぎ公園風に整備され、遊歩道・ジョギングコースもあったり、湧き水もあって、樹木に覆われた憩いの場所になっていました。
ちょっと方角を間違えてうろうろしたあげく、「東映通り」の標識を見つけ、一安心。
その道を駅まで向かいました。右手には色々の商業施設の入った、華やか雰囲気のシネマ館。左手は「LIVIN」の大きな建物。
この撮影所の歴史。
戦前は「新興キネマ東京撮影所」として1935年(昭和10年)2月に開所(当時は東京市板橋区東大泉町)、同社の現代劇部として稼動。1942年(昭和17年)、新興が日活および大都映画と合併して大映となるとすぐに閉鎖されたが、戦後1947年(昭和22年)、「株式会社太泉スタヂオ」が東急の資本によって設立され、貸しスタジオとなる。この時代に新東宝が借りて『野良犬』(黒澤明監督)が撮影される。同社は「太泉映画株式会社」と改称して自社製作に乗り出す。
その後、東映のスタジオとして1951年(昭和26年)4月1日、東横映画(撮影所)、太泉映画、東京映画配給の3社が合併して、「東映株式会社」を設立、東横映画撮影所は「東映京都撮影所」に、太泉映画スタジオは「東映東京撮影所」となった。
(以上、ウィキペディアより。「大」が「太」となっているのが興味深い。単なる間違いとは思えませんが)
現在、かつてオープンセットであった敷地内にLIVINオズ大泉店、旧正門のあったあたりにシネマコンプレックス「T-JOY大泉」が併設されていますが、敷地に入ると撮影所は今でも現役のようです。京都太秦の撮影所は観光コースとして一時ほどではないですが、賑わっています。時代劇と現代劇の撮影場所という違いでしょうか。
高速道路下
右が白子川の流れ、左手が遊水池。
湧き水
撮影所内の建物、昭和38年の航空写真にも写っている。
撮影所前の通り