「適正捜査の指導を」警察庁長官が訓示、無罪判決相次ぎ(落合弁護士のブログ)
無罪判決と言っても、国民の立場に立ちこういった犯罪を犯した疑いが濃厚なので、証拠上の問題はあるものの敢えて起訴して裁判所の判断を求めた結果、無罪になった、という場合は、それほど国民の不信感が募ることはないでしょう。今、問題となっている無罪事件の多くは、そういったタイプではなく、捜査そのものがいい加減でデタラメだったり、無理筋の事件をそれと承知ででっち上げてしまったり、といったもので、こういうことを繰り返していては、国民の不信感は雪だるま式に膨らんでしまうでしょう。
「街頭犯罪の防止」「体感治安の改善」といった取り組みは功を奏しているものの、戦前・戦中等を除けばかつてなかったほどの勢いで冤罪事件が発生している。問題はその原因である。
冤罪事件の多くが自白や利害関係のある第三者の供述のみに基づくものとみえる。例えば、志布志事件の「証拠」は、ライバル候補陣営の運動員?らしき人物のタレこみと本人らの(強要された)自白であった。そうすると、根本的な問題は、こうした供述証拠だけで事件を立件してしまう捜査を生み出したのは何かということである。
バーディーの考えでは、人員不足が背景にあることに加え、警察内部で(志布志事件にみられるような)出世競争が激化しているのではないかと思う。事件処理数、特に世間の耳目をひくような事件をたくさん処理することを、過大に評価してしまっているのではないだろうか。