裁判官出身の弁護士を「ヤメ判」または「ヤメ裁」、検察官出身の弁護士を「ヤメ検」という。だが、ヤメ判とヤメ検の中には、顧客との揉め事を起こす人が結構多いらしい。クライアントに対して「上から目線」の態度が目立つらしく、言葉遣いも不適切な場合、起こったクライアントが紛議に持ち込むらしい。
そういえば、「裁判官という職業は、自分の判断で行動できる。それに比べると、弁護士は結局クライアントの意向に左右される」と言った裁判官がいたのを思い出した。だが、私見によれば、「自分の判断」だけで行動できる人間など社会には存在しない。
弁護士のようにクライアントと直接接している職業人の場合、極論すれば「クライアントは神様だ」という態度が要請される。アメリカの見習い弁護士は、「クライアントから靴をなめろといわれれば、その通りにする」らしい。クライアントから金をもらって生きているからだ(これはこれで問題がないとは思わないが)。
だが、裁判官・検察官の場合、「目の前のクライアント」を意識することは少ないだろう。「国民」という「目に見えないクライアント」が存在するのではあるが、それは非常に抽象化された存在である。要するに、クライアントとの関係が間接的・希薄な職業生活を送ってきただけに、弁護士に転じた場合にはつい対処に戸惑ってしまうのだろう。
そういえば、「裁判官という職業は、自分の判断で行動できる。それに比べると、弁護士は結局クライアントの意向に左右される」と言った裁判官がいたのを思い出した。だが、私見によれば、「自分の判断」だけで行動できる人間など社会には存在しない。
弁護士のようにクライアントと直接接している職業人の場合、極論すれば「クライアントは神様だ」という態度が要請される。アメリカの見習い弁護士は、「クライアントから靴をなめろといわれれば、その通りにする」らしい。クライアントから金をもらって生きているからだ(これはこれで問題がないとは思わないが)。
だが、裁判官・検察官の場合、「目の前のクライアント」を意識することは少ないだろう。「国民」という「目に見えないクライアント」が存在するのではあるが、それは非常に抽象化された存在である。要するに、クライアントとの関係が間接的・希薄な職業生活を送ってきただけに、弁護士に転じた場合にはつい対処に戸惑ってしまうのだろう。