最近こんな「事件」があった(内容はデフォルメされている)。
青信号で横断歩道を歩いて渡ったら、すれ違いざまにある中年の女性から
「どうして赤なのに渡るのよ」
と注意される。信号はどうみても青なので、腑に落ちないが相手にするヒマもないのでそのまま歩きすぎる。
その次にまた横断歩道を青信号で渡っていると、またその中年女性が
「青信号じゃないでしょ」
と注意する。またしてもあっけにとられる。
・・・お分かりのように、この中年女性はある種の病気なのであるが、彼女にとっては自分の判断が正しく、それゆえバーディーが「赤信号なのに横断歩道を渡った」事実をゆるぎない真実として認識しているのである。
ここで私は、ギルバート・ケイス・チェスタートンの「恐るべき些事」(Tremendous Trifles)の中の一話を思い出す。それは、タクシーに乗車して料金を支払ったチェスタートンがタクシーを降りようとしたら、運転手から
「料金を払ってください」
といわれて慄然としたというものである。もちろんチェスタートンは「さっき払ったじゃないか」と主張したが、運転手は「証拠がない」と言って聞き入れない。・・・ずいぶん前(高校時代)に読んだので記憶違いがあるかもしれないが、大体こういうストーリーだった。
このようなふとした経験から、人間の主観的認識に基礎をおく我々の日常生活の危うさを再認識することができたのは、ある意味では良いことなのかもしれない。商売や訴訟の場面では、正気の人間であっても上の中年女性やタクシー運転手のような言動をとる人間がいるからである。
青信号で横断歩道を歩いて渡ったら、すれ違いざまにある中年の女性から
「どうして赤なのに渡るのよ」
と注意される。信号はどうみても青なので、腑に落ちないが相手にするヒマもないのでそのまま歩きすぎる。
その次にまた横断歩道を青信号で渡っていると、またその中年女性が
「青信号じゃないでしょ」
と注意する。またしてもあっけにとられる。
・・・お分かりのように、この中年女性はある種の病気なのであるが、彼女にとっては自分の判断が正しく、それゆえバーディーが「赤信号なのに横断歩道を渡った」事実をゆるぎない真実として認識しているのである。
ここで私は、ギルバート・ケイス・チェスタートンの「恐るべき些事」(Tremendous Trifles)の中の一話を思い出す。それは、タクシーに乗車して料金を支払ったチェスタートンがタクシーを降りようとしたら、運転手から
「料金を払ってください」
といわれて慄然としたというものである。もちろんチェスタートンは「さっき払ったじゃないか」と主張したが、運転手は「証拠がない」と言って聞き入れない。・・・ずいぶん前(高校時代)に読んだので記憶違いがあるかもしれないが、大体こういうストーリーだった。
このようなふとした経験から、人間の主観的認識に基礎をおく我々の日常生活の危うさを再認識することができたのは、ある意味では良いことなのかもしれない。商売や訴訟の場面では、正気の人間であっても上の中年女性やタクシー運転手のような言動をとる人間がいるからである。