「来年の春も亦この花を見られますようにと願うのであるが、幸子一人は、来年自分が再びこの花の下に立つ頃には、恐らく雪子はもう嫁に行っているのではあるまいか、花の盛りは廻って来るけれども、雪子の盛りは今年が最後ではあるまいかと思い、自分としては淋しいけれども、雪子のためには何卒そうであってくれますようにと願う。」(谷崎潤一郎「細雪」)
「花の盛りは廻って来るけれども、雪子の盛りは今年が最後ではあるまいか」という言葉は、これぞ、小説の中にひそむ「詩」とも言うべき日本語の名言で、日本人が異常なほどに桜を愛でる理由の一つが明かされている。
私などは、これを読むたびに軽く心が締め付けられるような痛みを感じるのだが、英語について言えば、私見では、シェイクスピアの「テンペスト」のミランダの次の台詞こそが、「英語の名言」のトップだと思う。
”O wonder!
How many goodly creatures are there here!
How beauteous mankind is! O brave new world!
That has such people in't!"
「ああ、不思議な事が!こんなに大勢、綺麗なお人形のよう!これ程美しいとは思わなかった、人間というものが!ああ素晴らしい、新しい世界が目の前に、こういう人たちが棲んでいるのね、そこには!」(訳:福田恒存)
これに次いで、 デヴィッド・ボウイの名言(英語の名言)を挙げたいと思うのだが、彼もおそらく「テンペスト」を意識していて、自分がプロスペローになったつもりでこう話したのではないだろうか?
「花の盛りは廻って来るけれども、雪子の盛りは今年が最後ではあるまいか」という言葉は、これぞ、小説の中にひそむ「詩」とも言うべき日本語の名言で、日本人が異常なほどに桜を愛でる理由の一つが明かされている。
私などは、これを読むたびに軽く心が締め付けられるような痛みを感じるのだが、英語について言えば、私見では、シェイクスピアの「テンペスト」のミランダの次の台詞こそが、「英語の名言」のトップだと思う。
”O wonder!
How many goodly creatures are there here!
How beauteous mankind is! O brave new world!
That has such people in't!"
「ああ、不思議な事が!こんなに大勢、綺麗なお人形のよう!これ程美しいとは思わなかった、人間というものが!ああ素晴らしい、新しい世界が目の前に、こういう人たちが棲んでいるのね、そこには!」(訳:福田恒存)
これに次いで、 デヴィッド・ボウイの名言(英語の名言)を挙げたいと思うのだが、彼もおそらく「テンペスト」を意識していて、自分がプロスペローになったつもりでこう話したのではないだろうか?