森鴎外全集10 ─即興詩人 森 鴎外 著
「我心は景色に撲たれて夢みる如くなりぬ。忽ち海の我前に横はるに逢ひぬ。われは始て海を見つるなり、始て地中海を見つるなり。水は天に連りて一色の琉璃をなせり。島嶼の碁布したるは、空に漂ふ雲に似たり。地平線に近きところに、一條の烟立ちのぼれるは、ヱズヰオの山(モンテ、ヱズヰオ)なるべし。沖の方は平なること鏡の如きに、岸邊には青く透きとほりたる波寄せたり。その岩に觸るゝや、鼓の如き音立てゝぞ碎くる。われは覺えず歩を駐めたり。わが滿身の鮮血は蕩け散りて氣となり、この天この水と同化し去らんと欲す。われは小兒の如く啼きて、涙は兩頬に垂れたり。」(p232)
生まれて初めて海を見たアントニオの衝撃を描いた名文で、何度読んでも涙が出そうになる。
私は原文のデンマーク語(但し、鴎外はデンハルトによるドイツ語訳(レクラム文庫)を参照したとされている。)が読めないのだが、もし読めたら「デンマーク語の名言」として「名言シリーズ」(日本語の名言・英語の名言)に載せたいところである。
アントニオの反応を「自我の拡張」と呼んでよいものか、それとも「対象リビドー」の発現の一つとみてよいのか、専門家ではないので分からない。
ただ、確かに言えるのは、アントニオの例は、プーチン大統領などにおける「自我の拡張」(小さな大統領たち(2))とはおよそ対極にあるということである。
こういう健全な自我の拡張(?)は素晴らしいと思うのである。
「我心は景色に撲たれて夢みる如くなりぬ。忽ち海の我前に横はるに逢ひぬ。われは始て海を見つるなり、始て地中海を見つるなり。水は天に連りて一色の琉璃をなせり。島嶼の碁布したるは、空に漂ふ雲に似たり。地平線に近きところに、一條の烟立ちのぼれるは、ヱズヰオの山(モンテ、ヱズヰオ)なるべし。沖の方は平なること鏡の如きに、岸邊には青く透きとほりたる波寄せたり。その岩に觸るゝや、鼓の如き音立てゝぞ碎くる。われは覺えず歩を駐めたり。わが滿身の鮮血は蕩け散りて氣となり、この天この水と同化し去らんと欲す。われは小兒の如く啼きて、涙は兩頬に垂れたり。」(p232)
生まれて初めて海を見たアントニオの衝撃を描いた名文で、何度読んでも涙が出そうになる。
私は原文のデンマーク語(但し、鴎外はデンハルトによるドイツ語訳(レクラム文庫)を参照したとされている。)が読めないのだが、もし読めたら「デンマーク語の名言」として「名言シリーズ」(日本語の名言・英語の名言)に載せたいところである。
アントニオの反応を「自我の拡張」と呼んでよいものか、それとも「対象リビドー」の発現の一つとみてよいのか、専門家ではないので分からない。
ただ、確かに言えるのは、アントニオの例は、プーチン大統領などにおける「自我の拡張」(小さな大統領たち(2))とはおよそ対極にあるということである。
こういう健全な自我の拡張(?)は素晴らしいと思うのである。