Don't Kill the Earth

地球環境を愛する平凡な一市民が、つれづれなるままに環境問題や日常生活のあれやこれやを綴ったブログです

健全な自我の拡張(2)

2022年04月08日 06時30分27秒 | Weblog
わが心の故郷 アルプス南麓の村 ヘルマン・ヘッセ 著 /フォルカー・ミヒェルス 編 /岡田朝雄 訳
 「「かわいい子だったね!」と男性がいった。 
 ところがまもなく、夕闇が深まるひまもないうちに、ふたたび少女が庭の門から出て来た。少女はそこで一瞬立ち止まって、そっと道を見渡し、石垣を、ブドウの葉陰を、恋人たちをうかがい見た。それから少女は走り出して、速足で、あらわな足を弾ませて道路にそって恋人たちの方へ走って来て、そばを通り過ぎると、走りながら向きを変え、庭の門のところまで駆けて行き、そこで一分ほど立ち止まり、もう一度、そして二度、三度、静かな、寂しげな速足でこの動作を繰り返した。
」(p128)
 「今日私はたくさんのことを学んだ。これからもたくさんのことを学ばなくてはならない。私たちをあの無言のダンスで魅了した少女から、私は学ばなくてはならない。あの少女が夕方ひと組の恋人たちを見たときに、彼女の心に恋が花開いた。生まれてはじめての官能の波が、不安になるほどすばらしい快楽の予感が彼女の血の中を流れた。そして彼女はまだ愛することができないので踊りはじめたのだ。そのように私もまた踊ることを学ばなくてはならない。官能的欲望を音楽に、性的衝動を祈りに昇華させなくてはならない。そうすれば私はいつも愛することができるようになるだろう。そうすれば私はもう決して、かつてあったことをむなしく繰り返さなくてすむだろう。この道を私は行こう」(p130)

 初老の詩人と若い娘のカップルを見た少女は、自然発生的にダンスを始める。
 この少女の内面は、おそらく初めて海を見たときの「即興詩人」のアントニオと似通っているだろう。
 これぞダンスの起源ともいうべき場面である。
 ヘッセは、この行動の源泉に(健全な意味での)愛(エロス)を見るようだが、私見では、「自我の拡張」あるいは「対象リビドーの発現」の一つの形態という説明の方がしっくりくるように思う。
 これも、プーチン大統領や「小さな大統領たち」の「自我の拡張」とは正反対の、健全な「自我の拡張」だと思うのである。
 
 
コメント
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