東京春祭ワーグナー・シリーズ vol.13 《ローエングリン》(演奏会形式/字幕付)
3年ぶりの東京春音楽祭・ワーグナーシリーズの1回目の公演は無事終了。
キャストのうち2人は当初から変更後の代役だが、なかなかの出来栄えで感心する。
タイトルロールのヴィンセント・ヴォルフシュタイナーは、見た目も声の質も重厚で、クラウス・フロリアン・フォークトとは正反対という印象である(指揮者のヤノフスキさんは重厚派がお好きなのだろうか?)。
さて、ストーリーは裁判を巡るお話なので、法曹関係者が観れば突っ込みどころ満載である。
一番奇妙なのは、フリードリヒ&オルトル―トの無法者コンビが、自分らの企みを実現する手段として、ひたすら裁判を利用しようとするところである。
フリードリヒは、エルザを弟殺しの罪で告発する。
検察官は登場しないので、古代ローマと同様に私人訴追制が採用されているようだ。
フリードリヒがキケロのように弾劾を始めるかと思いきや、そのようにはならない。
この被疑事実についてはオルトルートという目撃証人がいるのだが、フリードリヒはなぜかこう述べる。
「彼女を咎めるについては確かな証拠があります。神を畏れぬエルザの行いには信頼のおける証しがありました。だが、みなの疑念を晴らすのに証人を通じたりすること、それにはまこと私の気位が許しません。」(オペラ対訳ライブラリー ワーグナー ローエングリン 高辻知義 訳 p25)
すると、みなが「神明裁判を!」と叫び出し、フリードリヒと白鳥の騎士との決闘に至る。
これは、証拠裁判主義の放棄にほかならない。
裁判官である王としては、申立てを却下し、証拠に基づく事実認定を行うべきところだろう。
また、決闘に敗れた後、フリードリヒは白鳥の騎士の氏素性を問題にし始めるが、これもおかしい。
白鳥の騎士(ローエングリン)はエルザの代理人と思われるが、そうであれば、そもそも代理人の氏素性など問題とはならないはずである(民法入門26 「代理人って誰でもいいんですか?」)。
仮に、代理人となるために何らかの条件があるというのであれば、人定質問などを行い、その後で決闘を始めるというのが常識的だろう。
・・・こんな風に、いろいろと突っ込みたくなるわけだ。
3年ぶりの東京春音楽祭・ワーグナーシリーズの1回目の公演は無事終了。
キャストのうち2人は当初から変更後の代役だが、なかなかの出来栄えで感心する。
タイトルロールのヴィンセント・ヴォルフシュタイナーは、見た目も声の質も重厚で、クラウス・フロリアン・フォークトとは正反対という印象である(指揮者のヤノフスキさんは重厚派がお好きなのだろうか?)。
さて、ストーリーは裁判を巡るお話なので、法曹関係者が観れば突っ込みどころ満載である。
一番奇妙なのは、フリードリヒ&オルトル―トの無法者コンビが、自分らの企みを実現する手段として、ひたすら裁判を利用しようとするところである。
フリードリヒは、エルザを弟殺しの罪で告発する。
検察官は登場しないので、古代ローマと同様に私人訴追制が採用されているようだ。
フリードリヒがキケロのように弾劾を始めるかと思いきや、そのようにはならない。
この被疑事実についてはオルトルートという目撃証人がいるのだが、フリードリヒはなぜかこう述べる。
「彼女を咎めるについては確かな証拠があります。神を畏れぬエルザの行いには信頼のおける証しがありました。だが、みなの疑念を晴らすのに証人を通じたりすること、それにはまこと私の気位が許しません。」(オペラ対訳ライブラリー ワーグナー ローエングリン 高辻知義 訳 p25)
すると、みなが「神明裁判を!」と叫び出し、フリードリヒと白鳥の騎士との決闘に至る。
これは、証拠裁判主義の放棄にほかならない。
裁判官である王としては、申立てを却下し、証拠に基づく事実認定を行うべきところだろう。
また、決闘に敗れた後、フリードリヒは白鳥の騎士の氏素性を問題にし始めるが、これもおかしい。
白鳥の騎士(ローエングリン)はエルザの代理人と思われるが、そうであれば、そもそも代理人の氏素性など問題とはならないはずである(民法入門26 「代理人って誰でもいいんですか?」)。
仮に、代理人となるために何らかの条件があるというのであれば、人定質問などを行い、その後で決闘を始めるというのが常識的だろう。
・・・こんな風に、いろいろと突っ込みたくなるわけだ。