クリティック再建のために 講談社選書メチエ
「・・・近親婚のタブー等を極点とする婚姻ルールや神話がなぜ存在するのかと言えば、それはコードを再生産するためである、というのである。」(p202)
「さて、問題はそうするとそのコードなるもののステータスである。レヴィ=ストロースはまさにこのコードをこそ社会構造であると定義する。・・・とはいえ、それこそが社会的実体のコアであるというのならば、甚だしい混乱である。実際、具体的な分析になると、陳腐さが際立つのである。その社会で発生している具体的な問題の特定に結びつかない。ましてそのような問題の分析や解決には全く繋がらない。」(p203~204)
クロード・レヴィ=ストロースの思考に対する痛烈な批判である。
おそらく最大の問題は、この種の”具体的な個人を超越する主体”(彼にとっての『コード』)を仮構するような思考がなぜ生じてしまうのかであり、「コードの物神化」によって自らそのような思考を助長してしまうようでは、袋小路に入り込むことが最初から目に見えていた。
いわば「木乃伊取りが木乃伊になる」わけであり、さすがに本末転倒だろう。
少なくとも、現在のロシアについてレヴィ=ストロース流の分析をしてみても、得られるものは乏しいのではないだろうか?
「・・・近親婚のタブー等を極点とする婚姻ルールや神話がなぜ存在するのかと言えば、それはコードを再生産するためである、というのである。」(p202)
「さて、問題はそうするとそのコードなるもののステータスである。レヴィ=ストロースはまさにこのコードをこそ社会構造であると定義する。・・・とはいえ、それこそが社会的実体のコアであるというのならば、甚だしい混乱である。実際、具体的な分析になると、陳腐さが際立つのである。その社会で発生している具体的な問題の特定に結びつかない。ましてそのような問題の分析や解決には全く繋がらない。」(p203~204)
クロード・レヴィ=ストロースの思考に対する痛烈な批判である。
おそらく最大の問題は、この種の”具体的な個人を超越する主体”(彼にとっての『コード』)を仮構するような思考がなぜ生じてしまうのかであり、「コードの物神化」によって自らそのような思考を助長してしまうようでは、袋小路に入り込むことが最初から目に見えていた。
いわば「木乃伊取りが木乃伊になる」わけであり、さすがに本末転倒だろう。
少なくとも、現在のロシアについてレヴィ=ストロース流の分析をしてみても、得られるものは乏しいのではないだろうか?