憲法の土壌を培養する 改革・階級・憲法――日本社会の歴史的条件……西村裕一
「資本家階級はともかく、就業人口の中で多数を占める新中間階級および正規労働者が貧困層に対して冷淡であるというのが、現代日本が抱える特徴の一つであろう。それでは、自己責任論を信奉し格差解消や所得再分配に反対するというのは、一体どのような論理と心理に基づいているのだろうか。
・・・彼らは、大阪都心のタワーマンションか郊外の戸建て住宅に暮らし、かなりの額の税金、社会保険料、介護保険料、年金などを負担しながら、医療、子育て、福祉などの公的サービスの恩恵を受ける機会は必ずしも多くありません。
・・・そうしたなか、「身を切る改革」と「官から民へ」のスローガンを掲げ、自己責任と市場原理にしたがって、閉塞した現在のシステムを打ち壊そうとしてくれている「維新の会」は、自分たちが希望を託せる唯一無二の改革勢力にほかならない、といったようなところでしょうか。
・・・とりわけ統治機構論との関係で重要なのは、自己責任論を振りまく維新の台頭を支えてきたのが、競争社会に対してより肯定的であると分析されている、都市に居住する高学歴・高所得の中年・若年層に属する人々が多数を占めるであろうマス・メディアであったという事実である。」(p129~131)
「自己犠牲強要競争」というバトルロイヤルの第1ラウンド(70年代後半~)では、正規労働者が非正規労働者を犠牲に供する仕組みが「日本社会の規範」として定着し、「アンダークラス」という新たな階層を生み出す結果となった。
いわゆる「新しい階級社会」の誕生である。
続く第2ラウンドのキーワードは、「自己責任」と「市場原理」であり、今度は主に「官」(要するに税金というリソース)がターゲットとされた(もっとも、既に「行政改革」によって国鉄などの「民営化」は実現済みなので、この動きは従前からの動きの延長上にあると見ることもできる。)。
これが(弱者救済や格差是正を目的とする)「所得再分配」の拒否を意味することは、容易に理解できるところである。
ここで注目すべきは、西村先生も指摘するとおり、第2ラウンドで攻勢をかけている階層が「勝ち組」サラリーマン層とほぼ重なっているという点である。
この階層は、初めから「競争」の埒外にある、いわゆる「世襲貴族」とは、基本的な政治思想も支持政党も違っているはずである(但し、「郵政民営化」ではおそらく自民党を支持したと思われる。)。
また、この「勝ち組」サラリーマン(及び一部の自営業者やマス・メディア等を含む)層は、(「競争」を経ることなくリソースを確保している)「世襲貴族」に対しても批判的であり、今後はこの階層との間で「自己犠牲強要競争」が勃発するというのが、私の見立てである(CHOICE! 日本を任せるのはどっち?。ちなみに、「維新の会」の志向は天皇制否定という指摘がある:もうひとつの対立軸。)。
なぜなら、ターゲットとなり得る階層としては、今や「世襲貴族」くらいしか残っていないからである。
今のところ、第2ラウンドにおいては、「勝ち組」サラリーマン層が優勢に試合を進めてきたが、最終的な決着はまだついていない段階ではないかと思われる。
こうした状況の下で、今度は、第3ラウンドがどのような形で始まるのかがポイントであり、言うまでもないが、「維新」の動向を注視することになる。
(もっとも、「自己犠牲強要」の根源を突き止めて、ここを押さえることが本来やるべきことなのであるが・・・。)
「資本家階級はともかく、就業人口の中で多数を占める新中間階級および正規労働者が貧困層に対して冷淡であるというのが、現代日本が抱える特徴の一つであろう。それでは、自己責任論を信奉し格差解消や所得再分配に反対するというのは、一体どのような論理と心理に基づいているのだろうか。
・・・彼らは、大阪都心のタワーマンションか郊外の戸建て住宅に暮らし、かなりの額の税金、社会保険料、介護保険料、年金などを負担しながら、医療、子育て、福祉などの公的サービスの恩恵を受ける機会は必ずしも多くありません。
・・・そうしたなか、「身を切る改革」と「官から民へ」のスローガンを掲げ、自己責任と市場原理にしたがって、閉塞した現在のシステムを打ち壊そうとしてくれている「維新の会」は、自分たちが希望を託せる唯一無二の改革勢力にほかならない、といったようなところでしょうか。
・・・とりわけ統治機構論との関係で重要なのは、自己責任論を振りまく維新の台頭を支えてきたのが、競争社会に対してより肯定的であると分析されている、都市に居住する高学歴・高所得の中年・若年層に属する人々が多数を占めるであろうマス・メディアであったという事実である。」(p129~131)
「自己犠牲強要競争」というバトルロイヤルの第1ラウンド(70年代後半~)では、正規労働者が非正規労働者を犠牲に供する仕組みが「日本社会の規範」として定着し、「アンダークラス」という新たな階層を生み出す結果となった。
いわゆる「新しい階級社会」の誕生である。
続く第2ラウンドのキーワードは、「自己責任」と「市場原理」であり、今度は主に「官」(要するに税金というリソース)がターゲットとされた(もっとも、既に「行政改革」によって国鉄などの「民営化」は実現済みなので、この動きは従前からの動きの延長上にあると見ることもできる。)。
これが(弱者救済や格差是正を目的とする)「所得再分配」の拒否を意味することは、容易に理解できるところである。
ここで注目すべきは、西村先生も指摘するとおり、第2ラウンドで攻勢をかけている階層が「勝ち組」サラリーマン層とほぼ重なっているという点である。
この階層は、初めから「競争」の埒外にある、いわゆる「世襲貴族」とは、基本的な政治思想も支持政党も違っているはずである(但し、「郵政民営化」ではおそらく自民党を支持したと思われる。)。
また、この「勝ち組」サラリーマン(及び一部の自営業者やマス・メディア等を含む)層は、(「競争」を経ることなくリソースを確保している)「世襲貴族」に対しても批判的であり、今後はこの階層との間で「自己犠牲強要競争」が勃発するというのが、私の見立てである(CHOICE! 日本を任せるのはどっち?。ちなみに、「維新の会」の志向は天皇制否定という指摘がある:もうひとつの対立軸。)。
なぜなら、ターゲットとなり得る階層としては、今や「世襲貴族」くらいしか残っていないからである。
今のところ、第2ラウンドにおいては、「勝ち組」サラリーマン層が優勢に試合を進めてきたが、最終的な決着はまだついていない段階ではないかと思われる。
こうした状況の下で、今度は、第3ラウンドがどのような形で始まるのかがポイントであり、言うまでもないが、「維新」の動向を注視することになる。
(もっとも、「自己犠牲強要」の根源を突き止めて、ここを押さえることが本来やるべきことなのであるが・・・。)