ミュージカル「ミス・サイゴン」
「1970年代のベトナム戦争末期、戦災孤児だが清らかな心を持つ少女キムは陥落直前のサイゴン(現在のホー・チ・ミン市)でフランス系ベトナム人のエンジニアが経営するキャバレーで、アメリカ兵クリスと出会い、恋に落ちる。お互いに永遠の愛を誓いながらも、サイゴン陥落の混乱の中、アメリカ兵救出のヘリコプターの轟音は無情にも二人を引き裂いていく。・・・」
(以下、ネタバレご注意!)
「ミス・サイゴン」が「蝶々夫人」を基に作られたことはよく知られている。
ところが、我が子への対応について言えば、キムと蝶々さんは正反対である。
キムは、バンコクを訪れた夫(クリス)に、「この子をアメリカに連れて行って」と縋るものの、「金銭的援助をするから、タイでアメリカンスクールに通えばよい」とクリス夫妻に拒否される。
これに対し、蝶々さんは、ピンカートン夫妻から我が子の引渡しを求められ、最後はそれに応じるものの、別離に耐えられず自死する。
表面だけを見ると、「別離をいとわず、我が子を夫に差し出すキム」と「我が子を奪われ、悲嘆の余り自殺する蝶々さん」という対立の構図が浮かび上がってくるのである。
これには、例えば、自国で平和に暮らす蝶々さんに対し、キム母子は戦火を逃れて隣国(タイ)でなんとか暮らしているという境遇の違いがあるのは確かだが、やはり、蝶々さんが抱いていた人生計画を押さえておくのが重要だと思う。
蝶々さんは、ピンカートンと結婚して、我が子と一緒にアメリカに渡るつもりだったのだろうか?
おそらくそうではないだろう。
簡単にわかる「蝶々夫人」あらすじと相関図
「必ず、ピンカートン様は戻ってくるわ。最後の日にこう言っていた。「コマドリが雛をかえすころに戻ってくる」と。「バラの花を持って帰る」と。」
何とも言い難いところだが、蝶々さんは、「通い婚」のようなイメージを持っていて、ピンカートンは日本に「戻って」きて、当面の間、日本で妻子と暮らすのだと考えていたのではないだろうか。
もっとも、その前提として、ピンカートンは、世界中に転勤しなければならない軍隊を辞めていないといけないのだろうが・・・。
「1970年代のベトナム戦争末期、戦災孤児だが清らかな心を持つ少女キムは陥落直前のサイゴン(現在のホー・チ・ミン市)でフランス系ベトナム人のエンジニアが経営するキャバレーで、アメリカ兵クリスと出会い、恋に落ちる。お互いに永遠の愛を誓いながらも、サイゴン陥落の混乱の中、アメリカ兵救出のヘリコプターの轟音は無情にも二人を引き裂いていく。・・・」
(以下、ネタバレご注意!)
「ミス・サイゴン」が「蝶々夫人」を基に作られたことはよく知られている。
ところが、我が子への対応について言えば、キムと蝶々さんは正反対である。
キムは、バンコクを訪れた夫(クリス)に、「この子をアメリカに連れて行って」と縋るものの、「金銭的援助をするから、タイでアメリカンスクールに通えばよい」とクリス夫妻に拒否される。
これに対し、蝶々さんは、ピンカートン夫妻から我が子の引渡しを求められ、最後はそれに応じるものの、別離に耐えられず自死する。
表面だけを見ると、「別離をいとわず、我が子を夫に差し出すキム」と「我が子を奪われ、悲嘆の余り自殺する蝶々さん」という対立の構図が浮かび上がってくるのである。
これには、例えば、自国で平和に暮らす蝶々さんに対し、キム母子は戦火を逃れて隣国(タイ)でなんとか暮らしているという境遇の違いがあるのは確かだが、やはり、蝶々さんが抱いていた人生計画を押さえておくのが重要だと思う。
蝶々さんは、ピンカートンと結婚して、我が子と一緒にアメリカに渡るつもりだったのだろうか?
おそらくそうではないだろう。
簡単にわかる「蝶々夫人」あらすじと相関図
「必ず、ピンカートン様は戻ってくるわ。最後の日にこう言っていた。「コマドリが雛をかえすころに戻ってくる」と。「バラの花を持って帰る」と。」
何とも言い難いところだが、蝶々さんは、「通い婚」のようなイメージを持っていて、ピンカートンは日本に「戻って」きて、当面の間、日本で妻子と暮らすのだと考えていたのではないだろうか。
もっとも、その前提として、ピンカートンは、世界中に転勤しなければならない軍隊を辞めていないといけないのだろうが・・・。