J.S.バッハ:無伴奏ヴァイオリン・ソナタ第1番
J.S.バッハ:無伴奏ヴァイオリン・パルティータ第3番
バルトーク:無伴奏ヴァイオリン・ソナタ
イザイ:無伴奏ヴァイオリン・ソナタ第3番
J.S.バッハ:無伴奏ヴァイオリン・パルティータ第3番
バルトーク:無伴奏ヴァイオリン・ソナタ
イザイ:無伴奏ヴァイオリン・ソナタ第3番
私は、コンサート会場で配布されるチラシを全てチェックするタイプの人間である(ちなみに、古本市などでも、ほぼ全部の本のタイトルをチェックする)。
というのは、こういうチラシ(特に目立たないもの)の中に、宝のようなコンサートが埋もれているからである。
そんなチラシの中に、小さい頃N響アワーなどでよく見た徳永さんの無伴奏ヴァイオリン演奏会を見つけ、さっそくチケットを買った。
「ホール」と名が付いているものの、前方に限れば「サロン」的な雰囲気の会場だが、運よく最前列の席が入手できた。
演奏が始まると、大きな発見があった。
徳永さんがヴァイオリンを弾き始めた瞬間、メロディーとは別に、山登りのときに私がいつも聴いている”森のBGM"が、通奏低音のようにヴァイオリンの”洞”(お腹?)から響いてきたのである。
ヴァイオリンは、その内部に深い森を蔵しているかのようだ。
こういう感覚は、大きなホールでは到底味わうことが出来ないだろう。
・・・それにしても、徳永さんは超絶技巧の曲を選び過ぎて、最後は左指がしびれまくっていたようである。
チャイコフスキー:歌劇「エフゲニー・オネーギン」から ポロネーズ(オケのみ)
プロコフィエフ:ピアノ協奏曲 第3番 ハ長調 op.26
ショパン:ピアノ協奏曲 第1番 ホ短調 op.11
こちらは大ホールでのコンサートで、平日だというのに満席に近い。
曲順は亀井さんの希望でショパン→プロコに変更となったが、その理由は、前日、プロコの後で息切れが止まらず、最後の曲の前に行うトークが難しくなったからだという。
スロー・スターターという印象のある亀井さんだが、今回はショパンの1楽章から快調に飛ばし、プロコの最終楽章では例の”神憑り”状態に達したように見えた。
私が見る限り、指揮者の原田さんとの相性が良いようで、東フィルとの共演のときのような(指揮者に対する畏敬の念から来る?)緊張がみられなかった。
やはり、人間は、リラックスしているときこそ能力を最大限発揮できるのである。
この領域に達すれば、ホールだろうとサロンだろうと、あるいは自分ひとりしかいない家だろうと、関係なくなるのではないだろうか?