ワーグナー(クリンドヴォルト編):ジークフリートの葬送行進曲
「・・・そうした世界観やそれにふさわしい楽曲のあり⽅を、ベートーヴェンも《第九》をはじ めとする諸作品に積極的に採り⼊れていく。となると、その崇拝者であり後継者であるこ とを強烈に⾃認していたワーグナー⾃⾝が、ベートーヴェンの⾳楽世界を、⾃らの作品に 取り⼊れていったのは当然だろう。特に、畢⽣の⼤作である楽劇《ニーベルングの指環》 の最後を飾る《神々の⻩昏》(作曲は 1869 年から 74 年にかけてだが、作品そのものの草 案は 1848 年にまで遡る)では、その⼤詰めで英雄ジークフリートが死を迎える中、悲劇 的であると同時に輝かしさにも満ちた葬送⾏進曲が出現する。」(曲目解説より)
ワーグナーは、幼い頃から「第九」の総譜を愛読しており、ベートーヴェンの「後継者」を自認していた。
(妻コジマの1879年9月2日の日記:
「とつぜんリヒャルトは言う。『私に慰めをあたえる人は、はなはだ少なかった。ベートーヴェン、モーツァルト、バッハ、ウェーバーーーー私が独創的旋律家と呼ぶ人たちだ。』」(p65)
言うまでもないが、ワーグナーの二番目の妻コジマはリストの娘であり、リストもベートーヴェンの崇拝者だった。
ワーグナーの先輩音楽家に対する敬意に敢えて順番を付けるとすると、コジマが述べたとおり、ベートーヴェンが筆頭に来て、次にモーツァルト、その後にバッハという順になるのだろう。
ベートーヴェンのイ短調四重奏曲を聴いた後に至っては、
「人間はこのように非地上的なものを聞く資格があるかどうか、疑問にさえ思われる。」(前掲p63)
と感嘆していたらしい。
モーツァルトからの影響がやはりオペラであり、バッハからの影響はおそらく形式の点にあると指摘されている。
ワーグナーは、バッハの「平均律」を熱愛しており、ある晩、この曲が演奏された後、こう述べて「マイスタージンガー」の前奏曲を弾き始めたそうである。
「では、これから応用されたバッハをやろう。」(前掲p67)
確かに、この曲では対位法が駆使されていて、あのグールドも好んで弾いていたのである(Glenn Gould plays Die Meistersinger (excerpt))。