バッハとモーツァルトとの関係は非常に濃密と言うわけではなかったようだが、モーツァルトとベートーヴェンとの関係は、言い古されたことではあるものの、非常に濃い。
だが、両者が会ったことがあるかどうかという点については、昔から争いがあるようだ。
「のちにベートーヴェンは、弟子のチェルニーや甥のカールにピアノを教えるときに、「モーツァルトみたいなノンレガートの演奏をするな」と言うんですね。「もっとレガートに」「モーツァルトみたいにポチポチ切るんじゃない」などと言うということは、モーツァルトの演奏を聴いていますよね。どこかで聴いているとすると、その可能性は87年しかない。演奏後にあいさつされて、モーツァルト側ではそれは誰だかわからなくても、不思議ではありません。」
平野昭先生は「肯定説」(1787年)を採り、その根拠としてチェルニーとカールの証言を挙げる。
だが、これも決定的でないと思うのは、ベートーヴェンが表現した”ノンレガート”奏法は、モーツァルトの演奏を直に聴いた人物からの伝聞である可能性が否定できないからである。
ともあれ、チェルニーとカールの話からすると、ベートーヴェンは、「ピアノは俺の方が上手いぞ!」と思っていたように思われる。
なので、ベートーヴェンがモーツァルトのピアノの協奏曲20番(第1&第3楽章)に付したカデンツァも、「俺ならこんな風に弾けるぞ!」という思いの現れなのかもしれない。
もはや、他の作曲家のカデンツァだと、聴いている方が違和感を抱いてしまう。
ピアノ協奏曲第20番(モーツァルト)の話(9:00付近~)
「一番よく演奏されるのが、ベートーヴェンのカデンツァだと思います。・・・今回、ゲザ・アンダというピアニストのを使うんですけど・・・」
他方、作曲の面では、ベートーヴェンはモーツァルトべったりだったようで、若い頃は無意識のうちにメロディーの”剽窃”めいたことをしたこともあったらしい。
だが、どうやらこの習性は晩年にも出て来たようで、「第九」第4楽章のあのメロディーは、モーツァルトからの”パクリ”であることが指摘されている。
モーツァルト:主の御慈しみを K.222
この曲:Mozart - Misericordias Domini, K. 222 は1775年1月か2月に作曲されたが、楽譜が出版されたのはだいぶたった1811年である。
小宮正安先生によれば、ベートーヴェンもこの曲の楽譜を見ているはずで(確かに、モーツァルトの追っかけであった彼が見ていないとは考えにくい)、1824年の「第九」に採り入れたのではないかということである。
論より証拠、聴いてみれば直ちに”パクリ”らしいことが分かる。
もっとも、”パクリ”という表現は畏れ多いし不穏当なので、「オマージュ」と言うことにしたい。