「大学教授の父と、世の中で起きることを数学で解いていく息子。彼らを待ち受ける苛酷な運命。
大学の言語学の教授で無神論者の父クシシュトフは、12歳になる息子パヴェウと二人暮らしをしており、信心深い伯母イレナが父子を気にかけていた。パヴェウは父からの手ほどきでPCを使った数々のプログラム実験を重ねていたが......。」
大学の言語学の教授で無神論者の父クシシュトフは、12歳になる息子パヴェウと二人暮らしをしており、信心深い伯母イレナが父子を気にかけていた。パヴェウは父からの手ほどきでPCを使った数々のプログラム実験を重ねていたが......。」
「デカローグ」は、ポーランドの映画監督シシュトフ・キェシロフスキのテレビドラマ・シリーズで、これを舞台化したのが今回の新国立劇場の企画である。
原作は、あのキューブリック監督が激賞していたらしいので(「デカローグ」公式サイト)、傑作と見て間違いないだろう。
私は、映画(ドラマ)の方は未見なのだが、巨大な団地が”ミリュー”(台所からキッチンへ(19))ということで、映画の方が芝居より有利だと思った。
おそらく、大半のストーリーが、”室内”で展開されるからである。
この種の設定だと、どうしても室内に進入出来るカメラの役割が大きくなるが、観客の視点が固定される芝居では、”ミリュー”の内部に入ることが出来ないからである。
さて、「ある運命に関する物語」は、ほぼ3人の登場人物によって演じられる、シンプルな戯曲である。
無神論者のクシシュトフは、PC操作に長けた息子パヴェウと二人暮らしで、信心深い伯母のエレナが母親的な役目を務めている。
クシシュトフ役のノゾエ征爾さんは、先日観た「マクベス」(タイトル・ロール?(2))の印象から、奇抜な演技をするのかと注目していたが、意外にもオーソドックスで端整な演技である。
子役の子は負担が重いが、なかなか上手くこなしている。
エレナ役の高橋惠子さんは、テレビでおなじみと言うことで「懐かしい」という印象がまず先に出て来る。
この戯曲では、PC(当時はまだ四角のデカいモニター付きのやつ)が大きな役割を演じており、芝居でもこれをクローズ・アップした演出がなされる。
映画でも、PCの扱いが大きなポイントとなるはずだが、果たしてどういう映像になっているのだろうか?
ややベタではあるが、
「誰もいない部屋で、PCがひとりでに起動し、激しく作動するシーン」
が出て来るのではないだろうか?