Don't Kill the Earth

地球環境を愛する平凡な一市民が、つれづれなるままに環境問題や日常生活のあれやこれやを綴ったブログです

バッハ発、ワーグナー行き(1)

2024年04月05日 06時30分00秒 | Weblog
 この季節は、日本中で盛んにクラシックのコンサートが開かれる。
 なので、中には、「今日はバッハ、明日はワーグナー」という生活を送っている人もいるだろう。
 ところで、クラシックの世界では、バッハ(大バッハ)は「音楽の父」、要するに西洋音楽の始祖であるというのが通説と思われる。
 また、素人的には、その次に現れた巨星がモーツァルトだと言えるのかもしれないが、バッハとモーツァルトの関係は、そう簡単ではないようだ。

 「ヨハン・クリスティアン・バッハ (Johann Christian Bach 1735 - 82)は、大バッハ、ヨハン・セバスチャン・バッハの11番目の、そして一番下の息子として生まれました。・・・
 1764年5月、ロンドンを訪れていたモーツァルトは、バッキンガム宮殿に招かれ、ヴァーゲンザイル、アーベル、ヘンデルの作品とともにクリスティアン・バッハの作品を初見で演奏しました。
 このとき以来二人は年の差を超えてすっかり意気投合し、クリスティアン・バッハは、モーツァルトを膝の上に乗せ、一台のチェンバロをかわるがわる弾いて遊んだといいます。
」 

 「1774年7月、プロイセンのフリードリヒ大王によりバッハの偉大さがウィーン宮廷のスヴィーテン男爵に伝えられた。 そのときスヴィーテンはエマヌエル・バッハのことを考え、王はフリーデマンのことを考えていたらしい。 アインシュタインは言う、「音楽史上の重大な事件はしばしば偶然に依存している」と。 その年、スヴィーテンはハンブルクに行き、エマヌエルと会った。 二人の間に交流が生れ、スヴィーテンはセバスチアン・バッハの作品を購入することになる。 その中には「フーガの技法」や「平均律クラヴィア曲集」やオルガンのための曲がたくさんあり、どれも当時のウィーンでは知られてないものばかりだった。
 そしてスヴィーテンが1782年頃ウィーンで毎週日曜日に催していた音楽会でモーツァルトはこれらと出会うことになる。 それは彼に深い啓示を与え、以後の作曲スタイルに変化をもたらした。 彼は衝撃を受けつつ、まず演奏し、写譜し、真似てみた。・・・
 この出会いは「モーツァルトの危機」とも言われているが、たとえば、オカールが「モーツァルトにとってバッハの発見は一種の輸血だった。それによって引き起こされた動転を総合的に把握するまで、6年という時間が必要だった。 彼はバッハに学ぶべきことが多々あると感じていたが、だからといって懐古主義にのめり込む気はさらさらなかった」と言ったように、それを模倣するのではなく、時間をかけて「多様な音楽言語の一つ」として消化していった。

 モーツァルトは、1764年、まずヨハン・クリスティアン・バッハ(大バッハの子)と彼の音楽に出会い、1782年頃、ようやく大バッハの音楽を発見し、6年をかけてそれを消化していったようである。
 ということは、モーツァルトは、26歳くらいまでは大バッハの音楽を知らないということになるから、それまでに彼が作曲した曲については、大バッハの影響はないと言えそうだ。
 これに対し、わが国では、西洋音楽教育の導入(差し当たり、音楽取調掛が東京音楽学校へ改組された1887年としておく )と同時に、大バッハとモーツァルトを知ることになったのかと思いきや、そうではなかった。
 草創期においては、ピアノに重点が置かれており、その関係で、バイエルなどの教則本や民謡、オペラのピアノ編曲版が教材とされ、その中にモーツァルトの楽曲も含まれていた(♪日本に西洋音楽を導入したのは)。
 だが、ちょっと調べた限り、当時のピアノ(「洋琴」)教則本に、バッハの楽曲は見当たらなさそうである。
 
【山 大地 川 海 空】
ふじの山(文部省唱歌):巖谷小波・作詞/作曲不詳(寺嶋陸也・編曲)
蔵王讃歌(混声合唱のための組曲《蔵王》より):尾崎左永子・作詞/佐藤 眞・作曲
廣島高師 《山男の歌》(坊がつる讃歌):神尾明正・作詞/武山信治・作曲(寺嶋陸也・編曲)
大地讃頌(混声合唱のためのカンタータ《土の歌》より):大木惇夫・作詞/佐藤 眞・作曲
河口(合唱組曲《筑後川》より):丸山 豊・作詞/團 伊玖磨・作曲
初恋:石川啄木・作詞/越谷達之助・作曲(寺嶋陸也・編曲)
砂山:北原白秋・作詞/中山晋平・作曲(寺嶋陸也・編曲)
昴:谷村新司・作詞作曲(寺嶋陸也・編曲)
ひこうき雲:荒井由美・作詞作曲(寺嶋陸也・編曲)
小さな空:武満 徹・作詞作曲 [試聴]
【にほんのうた名曲選】
花:武島羽衣・作詞/滝 廉太郎・作曲(平井康三郎・編曲)
花の街:江間章子・作詞/團伊玖磨・作曲(寺嶋陸也・編曲)
この道:北原白秋・作詞/山田耕筰・作曲(林 光・編曲) [試聴]
赤とんぼ:三木露風・作詞/山田耕筰・作曲(篠原 真・編曲)
早春賦:吉丸一昌・作詞/中田 章・作曲(編曲・林 光)

 この「にほんのうた」シリーズでも、大バッハの影響を受けたとみられる曲は、これまで私が聴いた限りでは見当たらないようである。
 滝廉太郎の「花」(1900年)は、明らかに西洋音楽の構成を採用しており、メロディーも西洋音楽風だが、大バッハのエコーは皆無といってよく、やはりモーツァルト・チックである。
 中田章の「早春賦」に至っては、モーツァルトの歌曲「春への憧れ(Sehnsucht nach dem Frühling)K.596」 のアレンジである(早春賦とモーツァルト)。
 大バッハは一体どこ?
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする