Don't Kill the Earth

地球環境を愛する平凡な一市民が、つれづれなるままに環境問題や日常生活のあれやこれやを綴ったブログです

4月のポトラッチ・カウント(1)

2024年04月28日 06時30分00秒 | Weblog
 歌舞伎座「四月大歌舞伎」昼の部の最初の演目は、「双蝶々曲輪日記」引窓である。
 人気の演目ということで、昨年も浅草公会堂(1月)と国立劇場(7月)で2回上演されているが、歌舞伎座では前回が令和2年9月なので、約3年半ぶりということになる。
 前回とメンバーはほぼ違っている中で、中村東蔵(お幸)だけが前回と同じなのだが、その東蔵について、中盤でちょっとした”事件”が起こった。
 中盤でセリフが「飛んだ」のである。
 おそらく舞台の下の方から、男性がセリフを小さな声で東蔵に伝えていたが、そのうち女性が叫ぶような声が聞こえるようになった。
 私も固唾をのんで見守っていたが、3分ほどしてようやく落ち着き、プロンプター(黒子がこれを務めることもあるらしい)役の声は聞えなくなった。

①町人・南与兵衛は、父の後妻のお幸、妻のお早と暮らしていたが、めでたく郷代官に取り立てられることになった。
 ②そんな与兵衛の家に、殺人を犯した力士の濡髪長五郎がやってくる。濡髪はお幸の実の子であり、母に一目会おうと思ったため。
 ③しかし与兵衛に与えられた最初の任務は「濡髪を召し捕ること」であった…お幸は濡髪を匿い、どうか見逃してほしいと懇願する。
 ④濡髪は与兵衛への義理のため縄にかかろうとするが、与兵衛は放生会にことよせて濡髪を落ち延びさせるのだった。

 私は、江戸時代の日本の社会は、大正・昭和のそれと並ぶ「絶望の社会」だと考えるのだが、そうした中にあって、「双蝶々曲輪日記」は、「切られ与三」などと同じく一筋の光明を見せてくれる数少ない演目の一つである。
 まず、南家の設定が絶妙である。
 当主:与兵衛は、父の代は庄屋代官の名跡であったのが、訳あって零落し、現在は町人の身分となっている。
 妻のお早はもと芸者で、与兵衛に身請けされ、今は専業主婦として平和に暮らしている。
 お幸は与兵衛の義理の母で、前夫との間に濡髪を設けたが、事情あって5歳で彼を養子に出したという設定である。
 このたび、与兵衛は庄屋代官に取り立てられ、名跡の復活が実現することになったが、最初の任務は、何と濡髪を召し捉えることであった。
 濡髪を捕まえることは「国の誉れ、母の喜び」と張り切る与兵衛に対し、お幸はなぜか、濡髪の「人相書」(私が見た限り、濡髪の全身像が書かれてある)を売ってくれと頼む。
  お早も、「濡髪を捕まえることは、かか様への大の親不孝」と口走ってしまう。
 ここに至り、与兵衛は濡髪がお幸の実子であることを見抜く。 
 そして、「「イエ」を立てれば、母と弟が立たない」というこのジレンマを、神業的なロジックで見事に克服する。
 与兵衛は、
 「「人相書」はあきんどの代物
という理由でお幸に売り渡しておきながら、鶏の鳴き声を聞くと、
 「もう夜が明けた。ならば代官はお役御免
といって、放生会にことよせて、しかも逃げ道まで説明した上で、濡髪を逃がすのである。
 要するに、与兵衛は、身分制ひいてはイエ制度の虚構性を知り抜いており、これを逆手にとって、一人の人間の命を救ったわけである。
 ということで、「双蝶々曲輪日記」引窓のポトラッチ・ポイントは、一人の人間の命が救われたということで、マイナス5.0ポイント。
 ついでに、「父は子の為めに隠し、子は父の為めに隠す」になぞらえて言うと、
 「子は母と弟の為めに隠す、黒子は役者の為めに隠す
という格言が出来そうだ。
 
コメント
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