象徴主義とリアリズムの間で ―ドビュッシーの『ペレアスとメリザンド』をめぐって
「文学史上メーテルリンクは演劇における19世紀末象徴主義の代表者とされる。しかし、作曲家ピエール・ブーレーズが指摘するように『ペレアス』の象徴主義は実は「中途半端」である*。神話的に造形された人物が日常的な悲劇に巻き込まれる。象徴主義にリアリズムが入り混じる。確かに道具立てとしては、いわく言いがたい設定が揃っている。人を惑わす森と一輪の薔薇の花、荒れ狂う海と晴れやかな大気、泉の澄んだ水と地下道の淀んだ水、暗闇に佇む物乞いたち、羊たちの群れ、そしてメリザンドの長い金髪。登場人物たちも自らについて語らず、謎を保つ。しかし、台詞自体は凝った表現で書かれているわけでなく、むしろ平明である。平明なのに会話が通じず──メリザンドはあまり質問に答えない──、謎はさらに増す。こうした象徴主義とリアリズムの「相互干渉」(ブーレーズ)にこそ『ペレアス』の特徴がある。端的な例は第四幕第四場でペレアスとメリザンドが〝両想い〟だったことが判明する下り。「愛してる」「私も」という最も陳腐な愛の確認を、ドビュッシーはオーケストラを沈黙させることで象徴的な事件へと変貌させる。」
新国立劇場・オペラパレスでの今シーズン最後のオペラは、「ペレアスとメリザンド」である。
”中途半端な象徴主義”といわれても、象徴の正確な理解なくしてこの物語を読み解くことは出来ない。
「水」と「大気」(非「物体」、無定形なもの)が生命の始原(誕生)と終末(死)の象徴であることは明らかで、これについては演出も一応合格点に達していると思う。
問題は、メリザンドの「髪」の解釈である。
「メリザンドの金髪は、ペレアスにとって遠くから眺めている憧れの物質であり、接近不可能性の象徴だった」(村山りおん(則子)氏の解説)という理解すら、この演出家にはないように見受けられる。
というのも、非常に重要な、ペレアスがメリザンドの長髪を自身に巻き付ける場面が、「ベッドの上」で演じられたからである。
原文は以下のとおり、塔の上の窓から、下にいるペレアスに向かって、メリザンドの長髪が流れ落ちるというもの。
ペレアス「あ、これは何・・・・・・君の髪だ。君の髪が、ぼくのほうに降りてくれた・・・・・・君の髪がみんな塔から落ちたのだ・・・・・・しっかりつかんだぞ。くちびるに当てよう・・・・・・両腕で抱き締めよう。僕の首に巻き付けよう・・・・・・もう一晩じゅう、この手は開かないよ・・・・・・」(岩波文庫版・p97)
これがラプンツェルの本歌取りであることは明白である。
これを踏まえると、「髪」は天上界(「大気」=生命の起源、接近不可能なもの)と下界とをつなぐ「綱」(産道)であり、「水」及び「大気」と物体との中間(いわば半「物体」?)に位置づけるべきなのである(ちなみに、ラプンツェルは、髪の毛を伝って塔を登ってきた王子によって妊娠させられる。)。
したがって、「髪」は、ベッドの上で「水平に」流れるのではなく、”上から下に向かって”「垂直に」垂れ下がっていなければならない。
「文学史上メーテルリンクは演劇における19世紀末象徴主義の代表者とされる。しかし、作曲家ピエール・ブーレーズが指摘するように『ペレアス』の象徴主義は実は「中途半端」である*。神話的に造形された人物が日常的な悲劇に巻き込まれる。象徴主義にリアリズムが入り混じる。確かに道具立てとしては、いわく言いがたい設定が揃っている。人を惑わす森と一輪の薔薇の花、荒れ狂う海と晴れやかな大気、泉の澄んだ水と地下道の淀んだ水、暗闇に佇む物乞いたち、羊たちの群れ、そしてメリザンドの長い金髪。登場人物たちも自らについて語らず、謎を保つ。しかし、台詞自体は凝った表現で書かれているわけでなく、むしろ平明である。平明なのに会話が通じず──メリザンドはあまり質問に答えない──、謎はさらに増す。こうした象徴主義とリアリズムの「相互干渉」(ブーレーズ)にこそ『ペレアス』の特徴がある。端的な例は第四幕第四場でペレアスとメリザンドが〝両想い〟だったことが判明する下り。「愛してる」「私も」という最も陳腐な愛の確認を、ドビュッシーはオーケストラを沈黙させることで象徴的な事件へと変貌させる。」
新国立劇場・オペラパレスでの今シーズン最後のオペラは、「ペレアスとメリザンド」である。
”中途半端な象徴主義”といわれても、象徴の正確な理解なくしてこの物語を読み解くことは出来ない。
「水」と「大気」(非「物体」、無定形なもの)が生命の始原(誕生)と終末(死)の象徴であることは明らかで、これについては演出も一応合格点に達していると思う。
問題は、メリザンドの「髪」の解釈である。
「メリザンドの金髪は、ペレアスにとって遠くから眺めている憧れの物質であり、接近不可能性の象徴だった」(村山りおん(則子)氏の解説)という理解すら、この演出家にはないように見受けられる。
というのも、非常に重要な、ペレアスがメリザンドの長髪を自身に巻き付ける場面が、「ベッドの上」で演じられたからである。
原文は以下のとおり、塔の上の窓から、下にいるペレアスに向かって、メリザンドの長髪が流れ落ちるというもの。
ペレアス「あ、これは何・・・・・・君の髪だ。君の髪が、ぼくのほうに降りてくれた・・・・・・君の髪がみんな塔から落ちたのだ・・・・・・しっかりつかんだぞ。くちびるに当てよう・・・・・・両腕で抱き締めよう。僕の首に巻き付けよう・・・・・・もう一晩じゅう、この手は開かないよ・・・・・・」(岩波文庫版・p97)
これがラプンツェルの本歌取りであることは明白である。
これを踏まえると、「髪」は天上界(「大気」=生命の起源、接近不可能なもの)と下界とをつなぐ「綱」(産道)であり、「水」及び「大気」と物体との中間(いわば半「物体」?)に位置づけるべきなのである(ちなみに、ラプンツェルは、髪の毛を伝って塔を登ってきた王子によって妊娠させられる。)。
したがって、「髪」は、ベッドの上で「水平に」流れるのではなく、”上から下に向かって”「垂直に」垂れ下がっていなければならない。
ここではやはり、小道具(髪の毛様のロープなど)が必須だったと思うのである。