布施明が歌いレコード大賞を受賞した「シクラメンのかほり」は
小椋佳の作詞・作曲で、自らも歌っている動画がある
だが聞いていると布施明の歌との違いに気がつく
一番の歌詞では
真綿色したシクラメンほど 清しいものはない
出逢いの時の 君のようです
ためらいがちにかけた言葉に
驚いたように 振り向く君に
季節が頬を染めて
過ぎてゆきました
赤い部分のメロディが小椋佳の歌では音程が下がって
布施明の歌とは違う
聞き慣れている分だけ布施明の歌のほうが良いように思えるが
作曲者としての小椋佳は布施明が違うメロディで歌うことを
どう思ったのだろう
森進一の「おふくろさん」では作詞家の川内康範氏が
森進一が余分なセリフを挟んだことに腹を立て
歌うことを禁止にした騒ぎがあったが
小椋佳はそんなに騒ぎ立てずにいる
彼は布施明のメロディ選択も一理あると考えて
大目に見ているのだろうか
同じ交響曲でも版がいくつもある作曲家がブルックナー
実演で5回体験し、レコードもCDも数枚所蔵しているのが8番の交響曲で
特に第3楽章はこの上なく好きだ
この楽章は(この楽章だけではないが)布施明と小椋佳のように音楽が違う
それは作曲家自身が手直ししたところと
弟子が変えてしまったところがあるようだが
クライマックス(ファンファーレ)直前の音楽の数小節が
有りや無しやの是非が問題となる
元々はクライマックの直前は、突然無関係な音楽が始まったかのように
エネルギーを貯めるような音楽が数秒続くが
別の版では晴れ晴れしいファンファーレに一気に移動する
ここで好き嫌いの話になるが、個人的にはモタモタした感じの残る
数小節多い方の音楽のほうが好きだ
数年前、名古屋でブルックナーの8番をウィーンフィルとベルリン・フィルで聞いた時
ティーレマン指揮のウィーンフィルでは数小節があるほう
メータ指揮のベルリン・フィルのほうはそれがなくて一気にファンファーレにいったが
それも悪くはなかったが、やはりあったほうが不器用なブルックナーらしい気がした
ということで、同じ音楽でもいろいろ違うということ
念のために小椋佳の歌うシクラメンのかほりは、こんな感じ
シクラメンのかほり 小椋佳
音楽は歌詞があっても基本的には抽象的なものだ
食べた人にしかわからない味を人に聞くのと同じで
人によって良し悪しも感じ方も違う
(でも何故か同じように感じる人が多い)
音楽はどこにあるか?
と問えば、楽譜の中ではなく流れているその時にしか存在しない
再現芸術としての音楽は、言葉では現しきれないものをダイレクトに
感情を通じて心のなかに入ってくる
今まで知っていた歌詞と違っていても心震えることってあるものだ
それがYoutubeで見つけた「100万本のバラ」の原曲
この歌はバルト3国のうちのラトビアの歌であることは知っていた
(大相撲の把瑠都はエストニア出身)
ネットサーフィンをしていた時に不意に目に入った「100万本のバラ」原曲の文字
聞いてみると素朴で良い(加藤登紀子さんのより良いかも)
それでSNSで動画を拡散してみると、それを見た人から
「朝からこの歌で泣けてしまいました。こんな歌だったんだね」
とのコメントがあった
この曲の印象を左右するのが歌詞であることは否定できないが
歌で泣く、、
現代人がしばらく経験していないと思われるこういう体験を多くの人ができたなら
きっと世の中はもう少し住みやすいものになりそうな気がする
「百万本のバラ」の原曲 Dāvāja Māriņa(マリーニャの贈り物)歌詞つき
リタイア生活に馴染んでくると社会的な感覚が薄れていく
特に次々に噴出してくるビジネスアイデアなどは
仮に現役だったら積極的に取り組むか
それとも慎重に構えるかどっちなんだろう
と考えたりするが、実感としてはリアルな感じはない
職人であったバッハは、今でこそ音楽の父として崇められているが
死後長いこと忘れられていた存在で
メンデルスゾーンが「マタイ受難曲」の再演を行い
再評価のきっかけを作ったとのことだ
でも、素晴らしい音楽がなんで忘れられたのか?
と想像してみるとわかる気もする
職人バッハはその作曲能力の高さ故に一般人には
理解し難い音楽になりつつあったのではないか
(世間はもっとわかりやすい音楽を要求していた?)
未完に終わった「フーガの技法」などは誰かのために作った
と言うよりは自分自身のために作ったような気がする
リタイア生活をしてるとわかるが
あえて世間に合わせるという気が希薄になってくる
そして自己完結といえば言葉がいいが
少しづつ自分以外のことに無関心になる
その傾向がバッハにもあったのではないか?
と思ってしまったのだ
急に話は変わるが、最近聴くクラシック音楽以外の曲は
懐メロと言われるものをYoutubeで選んでいる
そこで、不意に昔の曲は失恋の歌が多いな!
と気づいた(今も残っているのは)
失恋でなくても喪失感を感じさせるものが
年齢を重ねた身にもリアルな感覚で迫ってくる
今の音楽界も同じように失恋の歌とか喪失感を感じるものが多いのだろうか?
今の音楽には全く疎いのでさっぱりわからない
でも雰囲気としては元気なポジティブな雰囲気の曲が多いように感じる
身体がエネルギーに溢れ、次々に生まれる新しい音楽を味わう若者は
後悔の念と戻らない時間への追憶を呼び戻す懐メロといわれる音楽を
どんなふうに感じるのだろう
例えば浜田省吾のこの曲とか、伊勢正三の曲とかはどう感じるのだろう
片想い (ON THE ROAD "FILMS")
イルカ&伊勢正三/ 雨の物語
今の若者がいつか懐メロを聴く年齢になったら
その時はどんな曲が選ばれるのだろう
とんでもない動画を見つけた
幼い女の子のヴァイオリンのコンクールの演奏だ
世の中に天才というか、並外れた能力を持つ人はいつの時代も生まれる
モーツァルト、ポール・マッカートニーはその例だ
モーツァルトはヴィオリンの演奏を習った訳ではないのに演奏できたり
ポールマッカートニーは右利き用のギターを借りて
左利きの持ち方で平気で演奏をした
どうしてそうしたことができるのかは、神様の気まぐれと思うしかない
この小さな女の子も凄い
子供の演奏は小学校の学習発表会などで合唱を聴いたりすると
その純粋さ、汚れのない音色に涙が出てくるが
この女の子の演奏はそのレベルを遥かに超えている
幼い純粋さに感動するのではなく、音楽が語るものそれ自体が凄い
それは大人の優れた演奏家のみが表現できる音楽の世界だ
でも、少し不思議だなと思うこともある
それは何故日本でこのお嬢さんが注目されないのか?
という点だ
普通なら藤井翔太さんとか中邑菫さんくらい注目されても不思議じゃない
でも、この動画を見るまで自分は知らなかった
Youtubeで見る後藤みどりさんよりは
このひまりさんのほうが聴いてみたいと思う
それにしても、早熟の天才が生まれてくる世の中の不思議
低レベルの参加者に疲れた審査員, たった5秒で起こしてしまった9歳の日本人少女
朝晩は少しは過ごしやすくなっている
なかなか聴く気になれずにいた音楽も、昨日の夕方になって
やっと聴いてみようという気になった
直ぐに頭に浮かんだのはベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲の第2楽章
瞑想的で考える音楽の一つで、管楽器との対話がとても気持ちいい
これが今の気分に一番合う、、と思えたのだった
ベートーヴェン:ヴァイオリン協奏曲ニ長調 op.61-第2楽章
モーツァルトの楽しいとか美しいとしか形容しようのない音楽も良いが
ベートーヴェンの緩徐楽章の思索的な音楽もいい
音楽は言葉のように具体的に何かを語ることはできないが
それでも確かに何かを語っているという感覚は持つことができる
こうした音楽を聴くと心が落ち着く
そして、ベートーヴェンは大した音楽家だと再確認する
不意にジョン・レノンはベートーヴェンのような音楽家で
ポール・マッカートニーはモーツァルトのような音楽家だと思った
ようやく音楽の秋になりつつある
歳を取ると若いタレントさんの名前とか音楽とかが頭に入らないのを実感する
それらは覚えられないのではなく、覚える気がないほうが強い気もするが
覚えられない現実も否定できない
聴きたい音楽のベースはクラシック音楽だ
Jポップもロックもジャズも歌謡曲も聴くが
クラシック音楽でもこれらのジャンルを聞くのと同様に楽しめる
訳あって暫くの間、音楽を聴く気分になれないでいたが
久しぶりに聴こう!と思い立ったのはバッハの音楽だった
いつもは子どものおしゃべりのようなモーツァルトを選択するのだが
なんか気分が違う気がしていた
引っ張り出したのはアンドラーシュ・シフの演奏するバッハのパルティータ(レコード盤)
本当に歌うようななめらかで優しいバッハだ
自分にとって真面目に聴くと理屈っぽい面が目立つバッハの音楽だが
今は聞き流す感じで聞いていると、なにか心が落ち着く
以前、歯医者さんで小さな音量で流すのはバッハの音楽が良いと聞いたことがある
つい音楽に引き込まれてしそうなモーツァルトやベートーヴェンの音楽ではなく
何声かの音がそれぞれ独立して生き生きとしているバッハの音楽は
聞き流すと抵抗感もなく、リスニングとして聞いていける
最近は今の音楽には疎いが、その代わり過去の音楽(曲や演奏)
にはマニアックになってきている
老化に伴う新しいものへの順応性の劣化は仕方ない
今更社会に何か影響を与えようとか、社会的に普及しているものを
無理やり受け入れようとする気はサラサラない
身の回りにある音楽はかつて親しんだもの
それで充分だと思っている
ときには同じ曲で違う演奏家のを聴いてみたいとも思う
結局のところ 音楽は最近は広がりよりも深掘りへの傾向が強いようだ
そしてそれで良いと思っている
ところで個人的に好きなバッハの曲は、
「シャコンヌ」「音楽の捧げもの」「パッサカリアハ短調」
昨日はパルティータのあと、シェリングの演奏する「シャコンヌ」を聴いた
一枚は聴くために、もう一枚は記念の保存用のために
同じレコードを2枚持っている人がいるそうだ
一時期は馬鹿げたこと!
と鼻で笑っていたが、実は自分も同じことをしている
ビートルズのアルバム、「アビーロード」を2枚どころか3枚持っている
写真の一番左は普通にレコードショップから購入したもので
真ん中は名古屋のその界隈で有名な「小池レコード」から求めたもの
そして一番右はアビーロード発売50周年でリマスターされたものを
通販で手に入れたものだ
音に違いがあるか?
が気になるが、以前に左側2つを比べたときには
確かに違いがあるように思われた
小池レコードから求めたものの方が生々しい印象で
演奏の熱までもが感じられた
(と言っても僅かな違いだったが)
そして昨日はリマスターされたものと比較したが
ポールのベースの音は真ん中のものが一番響いていたような気がした
レコードはレコードによって随分音が違うと言われる
フルトヴェングラーの指揮する「英雄」はウラニア盤が
圧倒的に素晴らしいとの評判で、自分は聴いたことがないが
Youtubeで公開されたウラニア盤の空気録音のものは凄まじい雰囲気がある
このウラニア盤と同じ演奏の別の会社が出しているレコードは所有しているが
それでは世間が騒ぐほどものもかは感じられない
確かにテンポ変化等は激しくライブ感はあるが、圧倒されるまでは至らない
でも本物のウラニア版はYoutubeでも凄いと感じさせられる
話はアビーロードに戻って、ビートルズのアルバム評価は日本では
「アビーロード」が一番のようだ
海外でも評価を含めると「リヴォルバー」が一番との説もある
この「アビーロード」はビートルズの白鳥の歌のように思えてしまう
極めて完成度が高く、ポップスとかロックの粋を超えて
音楽としての完成度がとっても高い
自分は特にB面のメドレーの部分が大好きで
初めて聴いた時は圧倒されて「凄い!」
としか声が出なかったのを覚えている
(甥っ子に聴かせた時、甥っ子も凄いと口にしたことがあった)
今は、繰り返しが多く徐々に盛り上がっていく「I want you」も
案外面白いと思うようになっている
先日我が家にレコードを聴きに来た人に今度は
これ「アビーロード」を聞かせてみようと思っている
それにしても、「アビーロード」一家に一枚必要な
本当に凄いアルバムだと思う
久しぶりにCDを購入した
ジャズピアニストのブラッド・メルドーのアルバムで
ビートルズの楽曲をジャズの演奏をしたものだ
レコードでも販売されているようだが、価格がCDよりだいぶ高価なようだ
購入してから気づいたのは失敗だったかもしれない
ブラッド・メルドーは以前ソロピアノのアルバムに「ブラックバード」
「アンド・アイ・ラブ・ハー」「ジャンク」などの
ポール・マッカトニーの作品を演奏したものがあって
それがとても詩的で良かったので、今回の購入となった
CDでもレコードで対面するように真面目に聴いた
なかなか良い!
それは一番先に浮かんだこと
そして、つくづく感じたのがビートルズの原曲の素晴らしさ
ほとんどの演奏は冒頭部分はシンプルなテーマの提示となっているが
これが、知っているからかどうかはわからないが、とても心地よい
次第にジャズ風にアレンジされていくのだが、
どこにオリジナルの曲の姿が見えるのか、、と思いながら聴くのは楽しい
実は、先日ネットで若者のこんな意見(質問)を目にした
「ビートルズの音楽はダサいのに、なぜ今も注目されているのですか?」
びっくりしたのは「ビートルズの音楽はダサい」という前提(断言)で
自分は、現代の音楽のほうが幼稚で深みがないと思えているので
とても違和感をもったのだった
しかし、時代的な背景とか空気というのは
こうした感覚の違いを生むのかもしれない
現代人なら心かきむしられるようなバーバーの「弦楽のためのアダージョ」とか
マーラーの5番の第4楽章のアダージェットを
仮にバロック時代の人々に聞かせたらどんな感情を持つだろうか?
と想像してしまった
こんな曲は良くない!
理解できないと言うよりは感覚的に合わない!
と断言されてしまうかもしれない
つまりはその時代の人々の感覚とか思考等で受け取り方は変わりそうだということ
だが、時代を経て古典(スタンダード)として残っているものは
(一旦は選別のフィルターを抜けて)作品自体にやはり何がしらのパワーが
あるものだと思われる
と屁理屈を捏ねているが、ビートルズの曲は良いなあと再確認したということ
ところで、このアルバムに収録されているのは
01. アイ・アム・ザ・ウォルラス / I Am The Walrus
02. ユア・マザー・シュッド・ノウ / Your Mother Should Know
03. アイ・ソー・ハー・スタンディング・ゼア / I Saw Her Standing There
04. フォー・ノー・ワン / For No One
05. ベイビーズ・イン・ブラック / Baby's In Black
06. シー・セッド・シー・セッド / She Said, She Said
07. ヒア・ゼア・アンド・エヴリホエア / Here, There And Everywhere
08. 恋をするなら / If I Needed Someone
09. マックスウェルズ・シルヴァー・ハンマー / Maxwell's Silver Hammer
10. ゴールデン・スランバー / Golden Slumbers
11. 恋することのもどかしさ / Maybe I’m Amazed (日本のみボーナストラック)
12. 火星の生活 / Life On Mars?
アンコール・ピースみたいに長くなくて気軽に楽しめる
いい買い物だったかもしれない
※最後の曲はデヴィッド・ボウイの曲らしい
「一度、レコードを聴きに来てください」
先日、写真撮影と水彩画などに才能を発揮する近所の知り合いに
こんなお勧めをした
さっそく昨日の午後、彼がやってきた
彼が来たらどの音楽をかけたら良いのか?
とずっと考えていたので、オーディオセットのある2階の部屋にいって
考えておいた曲のレコードをかけた
まず最初はバッハの「音楽の贈り物」の中のトリオ・ソナタ
フルートとヴァイオリンとチェロ、それにチェンバロの編成の音楽で
とても心落ち着く音楽だ
演奏はバッハの音楽のスペシャリスト、カール・リヒターを中心とした仲間だ
(この録音はCDでも持っているので比較をした)
レコードの音はフルートはふくよかで、チェロの音は奏者の熱気が感じられる
J.S.バッハ ≪音楽の捧げもの≫ BWV1079 カール・リヒター J.S.Bach “Das Musikalische Opfer”
彼は集中して聴いていた
レコードを聴いた後CDで同じ部分を聴いた
「違いは感じる?」
「うーーん、よくわからないな、、でもレコードって溝があるだけで
こんなに左右から違う音が出てきて凄いな!と別のことを感じてしまった」
忖度なしのとても素直な感想は、第三者の意見として参考になる
次に用意したのは、モーツァルトのピアノ協奏曲代23番の第二楽章
感情に訴えるがウエットではない それ故に寂寥感が際立つ
これらは一度聴けば、こんなにいい曲があったのか!
と感じるに違いないと思い、モーツァルトファンを増やすつもりで選曲した
この曲も彼は集中して聴いていた
Mozart - Piano Concerto No 23 A major K 488 - II Movement - Maurizio Pollini
次はモーツァルトのK364のヴァイオリンとヴィオラのための協奏交響曲の第2楽章
これも知る人ぞ知る有名な曲で、実演で聴いた時は泣きそうになった
ZAGREB KOM 5 • W. A. Mozart: Sinfonia concertante, K 364 - 2. Andante
「どう?」
「なんか、すごく完成度の高い音楽っていう感じ」
「これはヴァイオリンとヴィオラのための協奏交響曲という曲の第2楽章」
「あれはヴィオラだったのか、、チェロじゃないし何だったのかと思ってた」
彼とはフルトヴェングラーの指揮する「モルダウ」について話した事があって
youtubeで聴いたら、その感想を教えてほしいと言ったことがあった
そこで、今度はCDでフルトヴェングラーとウィーンフィルの演奏を聴いた
Smetana: Vltava (The Moldau) Furtwängler & VPO (1951) スメタナ ヴルタヴァ(モルダウ) フルトヴェングラー
最初のフルートの音からして深さが違う
テンポがゆっくりなだけではない、なにかもっと他のものが詰まっているような
そしてあの有名なメロディが流れた時の憧れのような響き
モルダウはフルトヴェングラーの守備範囲ではないが、
この演奏がクーベリックなどより数段好きだ
「これを聴いた後だと、モルダウはフルトヴェングラーが良いってことになりうそう」
確かに、その曲を初めて(真面目に)聴きいた音楽は全ての演奏の基準になるだろう
最後に面白い演奏をといって、ブラームスのハンガリー舞曲1番を
フルトヴェングラーの指揮のCDを引っ張りだした
Brahms: Hungarian Dance No. 1, Furtwängler & BPO (1930) ブラームス ハンガリー舞曲第1番 フルトヴェングラー
途中から指揮に煽られて、どんどんスピードが速くなっていく
とてもハラハラするくらいだ
「でも不自然な感じはしないね」
「音楽をこんなに集中して聴いたことはなかった」
彼はここまでの時間を十分満足したかのようだ
「また、聞きに来てください、
第九の季節にはフルトヴェングラーの有名なバイロイト祝祭オーケストラのやつ
聴きましょう、でもこれって気合が入らないと駄目だから精神の調子もいい時に!」
こんなふうに気持が通じ合う人との時間は過ぎていった
それにしても、何かを感じるということ、それを表現すること
それはとても大切なことだと思う
そしてそれをするためには集中して対峙することも
次は彼に聞かせる曲は何にしようか?
ピンク・フロイドの「エコーズ」とか
ビートルズのアビーロードも良いかもしれない
こんなふうに考えることは案外楽しい
今年のGWは再開されたラ・フォル・ジュルネ
ベートーヴェンの記念の年(生誕250年)の2020年はコロナで開催されなかったが
今年は鬱憤を晴らすように「やっぱりベートーヴェン」が企画されている
理由あって見に(聴きに)行けないでいるが、その代わり音楽に関するネタを少し
昔、車での通勤時間にはクラシック音楽のかかるFMを聴いていた
曲の途中から聴き始めることが多かったが、その時の楽しみ方に
曲を知ってる場合には
演奏しているオーケストラはどこの国のオーケストラか?
指揮している人は誰か?
指揮者の年齢は若いか年寄か?
曲を知らない場合には
この曲はどの国の作曲家の作品か?
などを想像して曲が終わった後のアナウンスが楽しみだった
その的中率は不思議なことに、そんなに悪いものではなかった気がする
なんとなく、、という感覚は案外正しかったようだ
4年ほど前、名古屋でウィーンフィルとベルリン・フィルの
聴き比べができる機会があった
プログラムはブルックナーの交響曲8番で大好きな曲だ
料金は決して安いものではなかったが、自分自身に大金を使う言い訳を考えて
この貴重な機会を逃さないようにした
(同居人にはチケット価格は内緒)
指揮者はウィーンフィルがティーレマン、ベルリン・フィルがメータだったが
指揮者の違いよりもオーケストラの音色の違いに注意して聴いた
少し時間が経っているが、この時の記憶は端的に言えば
ウィーンフィルは輝かしい音色(特に頂点となる部分)
ベルリン・フィルの驚異的な合奏能力が記憶に残っている
またウィーンフィルはどこかオーストリアの自然を感じさせる雰囲気があったが
ベルリン・フィルは交響曲という抽象的な音だけの世界の充実ぶりを感じた
どちらかが良いという比較は成り立たず、それぞれの世界があるものだと納得したが
作曲家のブルックナー自身は常にウィーンフィルの音を聴いていたので
彼のイメージはウィーンフィルの表現の方が近かったかもしれない
(ただし、録音されたものはベルリン・フィルの演奏に良いものが多い)
ウィーンフィルの音は独特だ
それはピッチが若干高めに設定されているからとか
ウィンナホルンと言われる古いタイプの楽器を使われているからとか
弦楽器もやはり同じ様にその地のものを使用しているからとか言われている
自分がそれにもう一つ、ノリがいいという印象を持っている
ベルリン・フィルが常に経験できないオペラを、ウィーンフィルのメンバーは
日常的に経験しているのが影響していると思う
オーケストラの音は昔はもっと違いがあったと言われている
だからこそ、途中から聴き始めた音楽でもそれなりに想像することができた
でも最近は個性が無くなってきているらしい
ウィーンフィルは昔、女性の奏者がいなくて男ばかりの集団だった
ピアニストのマルタ・アルゲリッチはウィーンフィルの男ばかりの
メンバー構成に違和感を覚えていたので彼らとの共演は断っていたそうだ
頑固なウィーンフィルも世の流れには逆らえず、次第に女性奏者も入るようになったが
最初の頃は、オーケストラの音色に大きく影響しないハープ奏者だけだったようだ
今はジェンダーフリーと言われる世の中だが、個人的には(叱られそうだが)
オーケストラの音色の部分に影響するところなので
ウィーンフィルは男だけの集団であってほしいとも思う(時と場合に合わせて)
ブルックナーの音楽の感じ方は、男と女では違うと確信している(思い込んでいる)
指揮者の要求するものを受け取る感覚は、当然男と女の違いは出てくると思う
男性原理で進められていく音楽(ブルックナーの音楽はこうしたものと思う)が
一般的なマイルドにされてしまうのは、どこかもったいない気がしてならない
男が感じる世界観の表現
それだけで、それなりの価値があるような気がするが、、それは難しいのだろうか
話は変わるが、昔、こういうオーケストラの演奏があったら良いな!
と考えたことがあった
それはベートーヴェンの英雄を、ベートーヴェンが作曲したときと同じ年齢(33歳)の
指揮者と奏者で演奏したらどうなのだろうというもので
野心と若さのある人間の感じ方は、熟成された人々の感じ方とは違うはずで
きっと勢いのある、はつらつとした印象を与えるものになるのではないか!
と想像したりした
ということで、お気楽な話
連休の中日も大して予定なし
図書館に本でも借りに行くか!