youtubeに時々とても面白いものを発見する
今回見つけたのが桑田佳祐がビートルズの「アビーロード」をパクったもの
これがメチャ面白い
歌詞は日本語だが、英語と似ているところもあれば、勢いで済ませているのもある
これはテレビで放送されたのかどうか分からないが
放送したとすれば誰かさんは怒りそうな作品だ
その動画は↓↓↓
アベーロード (桑田佳祐) The Beatles (Abbey Road) 空耳
ところで桑田佳祐は昔、松任谷由実と「メリークリスマスショー」というタイトルで
クリスマスイブの日に、その頃の旬の音楽家とやりたい放題の音楽あそびをしていた
その1つが鈴木雅之とアルフィーの桜井懸と二人でやった「ブラックマジックウーマン」と
歌謡曲の「別れても好きな人」を無理やりくっつけたこの音楽
MERRY X'MAS SHOW 1986 BLACK MAGIC WOMAN 別れても好きな人 SANTA☆NA
これはホント笑ってしまった
と同時に、自然に結びつける音楽性に驚いた
(今のなんとか48にこの音楽性を期待できるだろうか?)
この前年にはストーンズの「ジャンピング ・ジャック・フラッシュ」をCharで
米米クラブがの歌謡曲の「星降る街角」を驚きのくっつけ音楽をしている
JUMPIN' JACK FLASH &星降る街角 / Merry X'mas Show 1987 ~Char & 米米クラブ
本当に凄い
今、これらができるのだろうか
ドイツ・オーストリアの有名な作曲家を表す3Bという言葉がある
バッハ、ベートーヴェン、そして一般的にはブラームスが挙げられるが
個人的には最後のひとりはブラームスではなくてブルックナーだと思う
ブルックナーに触れたのは高校時代
レコード店でブルックナーの9番の交響曲とマーラーの一番(巨人)の
レコードのどちらかを購入しようと試聴したのが最初だった
お互い数分だけ聴いたのだが、すぐにブルックナーの響きに魅せられてしまった
このカラヤン指揮、ベルリン・フィルの9番の交響曲を
知人にもこんなにすごい曲があるのだと、、紹介したこともあった
(自分ほど感激しないのが大半だった)
世間で一番嫌いな作曲家のアンケートをすると、ブルックナーは何年も連続で
トップを独走しているそうだ
ブルックナー好きには信じられないことだが、なんとなくその気持もわかる
情緒的な表現があまりなくて、感情に訴えなかったり
何がしたいのか分からず途方にくれる気持ちになるのは想像できる
でも良いんだな、、ブルックナー
古今東西の交響曲で一番聴いているのがブルックナーの8番
これはオタクの世界の入り口くらいにいる
レコードとCDでは
フルトヴェングラー指揮 ベルリン・フィル交響楽団1949年録音
フルトヴェングラー指揮 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団1944年録音
カラヤン指揮 ベルリン・フィル交響楽団 1967年録音
カラヤン指揮 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団 1988年録音
クナッパーツブッシュ指揮 ミュンヘンフィル交響楽団
シューリヒト指揮 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
ジュリーニ指揮 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
ヨッフム指揮 ドレスデン交響楽団
テンシュテット指揮 ロンドン交響楽団
バレンボイム指揮 シカゴ交響楽団
クレンペラー指揮 ニューフィルハーモニア交響楽団
朝比奈隆指揮 大阪フィルハーモニー交響楽団
チェルビダッケ指揮 ミュンヘンフィルハーモニー管弦楽団
ハイティンク指揮 コンセルトヘボウ管弦楽団
シモーネ・ヤング指揮 ハンブルク交響楽団
エリアフ・インバル指揮 フランクフルト放送交響楽団
ブーレーズ指揮 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
ラファエル・クーベリック指揮 バイエルン放送交響楽団
ギュンター・ヴァント指揮 北ドイツ放送交響楽団
ギュンター・ヴァント指揮 ベルリン・フィル交響楽団
ミヒャエル・ギーレン指揮 バーデンバーデンシンフォニーオーケストラ
思いついただけで20種類ほどある
この他にピアノ二重奏に編曲したものがあり
オルガンに編曲したものもある
実演では
ギュンター・ヴァント指揮 北ドイツ放送交響楽団
ズービン・メータ指揮 イスラエル交響楽団
朝比奈隆指揮 大阪フィルハーモニー交響楽団
ティーレマン指揮 ウィーン・フィルハーモニー交響楽団
ズービン・メータ指揮 ベルリン・フィル交響楽団
この曲をなぜこんなに聴き比べているのかといえば
まずは聴き比べをしてしまう第3楽章のせいだ
この楽章は本当に大好きで、一楽章だけで25分くらいの曲
この音楽がなっている時の時間の経過は、早いんだか
長いんだか、、途中で時間感覚が変になってしまう
哲学的な思索とか、時の流れを一部切り取ったかのようであったり
草花が咲き乱れる自然を思い浮かべたり、寂寥感を覚えたり
楽章が終わるとフッと我に返るような気持ちになる
これらの多くの演奏を印象として全部を語ることはできない
でもお気に入りは
実演では圧倒的にヴァントの北ドイツ放送交響楽団のが良かった
いつも聴ける録音媒体では現時点では
フルトヴェングラー指揮の1949年 ベルリン・フィル管弦楽団
ギュンター・ヴァント指揮のベルリン・フィル管弦楽団が好き
それにしても、なんでこの曲がそんなに好きなのだろう?
(好きには理由が必要ないかもしれないが)
ビートルズの「ナウ・アンド・ゼン」を聴いた感想を
世界中の人がYoutubeにアップしている
そうせずにはいられない気持ちはわかる
コーラスはビコーズから取り出したものとか
エリナー・リグビーからもサンプリングした部分があるとか
語りたい人は幾つでもネタが出てくるようだ
音楽を聞くのは車の中では聞き流しだが
普段は真面目に音楽に集中する聴き方をしている
それでないともったいない気がしている
真面目に聴くと作曲者の意図とか演奏者の気持ちとかが
脳内に湧いてきて、それは間違いのないものと思えてくる
この感覚こそが聴いている充実感だ
先日手に入れたユーラ・ギュラーのベートーヴェンの32番のピアノソナタ
やっと襟を正して集中して聴ける気持ちになったので聴いてみた
最初の和音が力強い
録音レベルのせいもあるだろうが、女性の音とは思えないほどの力強さだ
この音だけでその先が期待できた
この演奏は弱音(ピアノ)がとても効果的で、今まで聴いてきた演奏より
多様な表情があった
力強い打弦はアルゲリッチもそうだが、ユーラ・ギュラーのほうが
作品に内蔵されている力を現している気がする
そして曲全体を大きく把握している感じがフルトヴェングラーの
把握の仕方と似ているような気がした
どちらとも巨大な何かを感じさせる
(二人の現役の時代はそういう傾向の多い時代だったのだろうか)
ベートヴェンは晩年になって枯れていくのではなく
もっと巨大な構成的なものを作っているのだと思える
一楽章は弱音で終わるが、第2楽章の始まりとのつなぎがすごく自然でいい
薄明かりの中からそっと始まるような音楽
頭の中はもう少し人生を振り返るようなイメージの音楽を予想していたが
真面目に聴いていると、そうではないことがわかる
あくまでも音楽自体の秩序の中で、いろんな作曲上の技術を用いて
完成度の高さを感じられるような演奏にしている
演奏は部分部分の印象が記憶されることが多いが
この演奏では最終的に記憶に残っているのは
打弦の力強さと、弱音のニュアンスの効果的だったことと
曲の把握が大きくなされていたことと、ベートヴェンは晩年だからといって
枯れたものを創造したのではなく、むしろ巨大なものを作ったのだといった
上記にあげた印象だ
だがこれらは全く個人的な印象に過ぎない
特に一般化する必要性もないので、ただそう思っただけで終わる世界だが
それでも豊かな経験をした実感は記憶されている
音楽を聴く楽しみは、音に身を任せている時に訪れる情緒的な感情とか
不意に蘇ってくる記憶や、羽ばたく連想などを味わうこともあるが
聴いていた(体験していた)音楽を語ることもその一つだ
音楽の体験を自己完結せずに、他の誰かと語り合うことは
きっと精神的にも社会的にも良い影響を与えるだろう
ビートルズの新曲「ナウ・アンド・ゼン」が世界中で聴くことができるようになった
早速、ちょいと姿勢を正して聴いた
The Beatles - Now And Then (Official Audio)
ジョン・レノンの作りそうな、彼の声にピッタリの情緒的な曲で懐かしい!
そんな思いが第一感
この曲はジョン・レノンの他の曲のどのジャンルに入るのだろうかとか
ドラムがリンゴらしいなとか、コーラスグループとしてのビートルズを
再認識するとか、どこか透明感のある曲になっているな!とか
ナウ・アンド・ゼンと歌うところの転調がビートルズっぽいなとか
つまりは誰かに話しかけたい気持ちになっている自分がいた
Youtubeでもこの曲について語る(語りたい)動画がいくつか出ている
zappy chanel
ビートルズ最後のシングル曲 Now And Then が遂にリリース~ファンからの感謝メッセージ
みのチャンネル
(ビートルズ最後の新曲「Now And Then」解説)
この曲はマニアが全く聴いたことのない曲ではなくて
アンソロジー(3)に収録されていた曲だそうだ
最新のAI技術を使って完成されたことは、耳にタコができるほど見聞きしているが
ジョン・レノンの歌っているデモテープの原曲とは少し違うところがある
それはデモテープにある中間の部分で、そこには冒頭のメロディとは違うニュアンスの音楽がある
ジョン・レノンとすればその対比が効果的と思ったのかもしれない
だが、あのままだと完成度は低くて、ビートルズの作品として表に出るのは
もう少し何かいじらないと駄目かな、、とも思ったりする
結局、多分ポールの判断でその部分はカットして、
冒頭のイメージで統一感を持つようにしたらしいと動画は伝えている(zappy chanel)
ポールにも大きなコントラストではなくて、冒頭のイメージをキープしている
情緒的な楽曲がある
それは「マイ・ヴァレンタイン」で、この曲とジョンの「ナウ・アンド・ゼン」は
2つの才能の個性の違いがわかる
マイヴァレンタインはこんな曲
Paul McCartney - My Valentine (Official Music Video)
それにしても、ジョンもポールも凄いな、、
と改めて思う
数年前公開された映画「イエスタデイ」では
エド・シーランがビートルズのポール役の人物と即興での楽曲作りを競った場面で
エド・シーランは「サリエリとモーツアルトとの違いがある」
と自らをサリエリに例えて負けを認めたシーンがあったが
不意にこのエピソードを思い出した
彼ら二人は、、いやもしかしたらメンバー4人が同時期に一緒に活動したのは
歴史の気まぐれのような気もする
アマゾンでいつでも買える!
と思い、ほしいものリストにあげていたが
いつの間にか購入できなくなっていたCDが
中古品として購入できるようになって急いで手に入れたのがこれ
ユーラ・ギュラーの演奏するベートーヴェンの31番と32番のピアノソナタ
特に32番のピアノソナタは大好きな曲でレコードではバックハウス
ミケランジェリ、ポリーニ、アラウ、グルダの演奏したものを所有している
CDではケンプ、ウゴルスキ、グレン・グールド、ゼルキン、リヒテルの演奏したもの
そして実演ではブレンデル、伊東恵、イェルク・デムスを聴いた
この曲の第2楽章は深い思索の音楽で、まるで人生を振り返っているような
そしてそこでたどり着いた境地みたいなものを感じさせる
変奏曲形式だがテーマは全ての無駄を削ぎ落としたような音楽だ
これを美しいと感じるのは聴く方にそれなりの人生経験が必要と思われる
実はユーラ・ギュラーの演奏は最初、寝床でタブレットでのYoutubeで聴いた
その良かったこと、、
飾りっ気のないメロディが心にしみてくる
既に知っているそれだが、音を通じて何かを語ってくる
結局、20分弱の音楽を一気に聴いた
早速アマゾンでCDを探して、お気に入りに入れた
その時は聴きたくなればYoutubeで聴けばいいと思っていた
ところがYoutubeでその動画はいつの間にか無くなって聴けなくなった
不安になってアマゾンを見てみると、あるはずのCDは品切れとなって
入荷不明と出ている
つまりは買いそびれてしまった
先日、久しぶりにほしいものリストを閲覧すると、中古品で購入可能となっていた
そこでミスは繰り返さないぞ!ということで購入することにした
ところでこの曲のお気に入りの演奏はこのユーラ・ギュラーの演奏もいいが
(アルゲリッチがユーラ・ギュラーにこの曲の録音を残すように勧めたらしい)
淡々としたバックハウスの演奏も良い
ゲレングールドはこんな解釈・演奏もあります、と言った感じだが
長年真正面からベートーヴェンと向かい合ったバックハウスは
彼の生き様を反映してるようで最後の鐘がなっているような部分はグッと来る
それはまるで別世界の出来事のように思えてしまう
ということで、連休真ん中は少しお気楽な話
ところでビートルズの「ナウ・アンド・ゼン」は動画で聴いたが
いかにもジョン・レノンが作りそうな曲だ
作曲はビートルズ解散以後でソロのアルバムにある曲をイメージさせる
ただコーラスの音色がビートルズのそれを連想させる
これは注文したレコードが来てから真面目に聴こう
谷村新司さんが亡くなったとのニュースがあった
74歳、まだ若い(早い!)
同世代だが熱心なファンではなかった
レコード・CDは一枚も持っていない
でも歌は覚えている
「昴」「チャンピオン」「いい日旅立ち」などだ
彼の歌の少し大げさなところがひいてしまう(ファンになれない)理由だが
何かを作ることができるか?
と問われると全くお手上げで、創作する人の真似できない能力を感じたりする
昔から思っていることに「チャンピオン」は
サイモンとガーファンクルの「ボクサー」にインスパイアされて
作ったに違いないというのがある
ボクサーの歌詞はどんな内容かしらないが、勝手にそう思っている
「チャンピオン」はむしろモハメッド・アリにインスパイアされている
との見方も存在したような記憶もあるが、とにかく自分はそう思っていた
話は飛ぶが、もう一つ思い込んでいるものがある
それは財津和夫の「青春の影」はビートルズの「ロング・アンド・ワインディング・ロード」
にインスパイアされて作ったに違いないということ
これは、もろ影響を受けていると感じている人も多いだろう
ところでサイモンとガーファンクルの「ボクサー」が出てきたが
この曲には思っていることがある(思い込みのように)
「ボクサー」は長い曲だ
長いと言っても「ヘイ・ジュード」と同じように
最後の部分をライ・ラ・ライと歌いオーケストラが同じ音形を
繰り返すことで長くなっているのだが
これをビートルズの「ヘイ・ジュード」と比較すると
ビートルズの方は4つの音が通奏低音のように下がって音楽を支配し
その中で「ナーナナ、ナナナッナー」とアドリブが続くが
「ボクサー」の方は少しセンチメンタルぽい味わいを感じる
それはビートルズの方はバッハがベースになっていて
サイモンとガーファンクルの方はマーラーがベースになっていると思えて仕方ない
もしくは、ビートルズはヨーロッパ、サイモンとガーファンクルはアメリカのテイスト
と言って良いかもしれない
日本ではこんな話題で時を過ごすことができるが
突然の死が日常になっているパレスチナとイスラエルのことを思うと
本当になんとかならないのか、、と思わざるをえない
布施明が歌いレコード大賞を受賞した「シクラメンのかほり」は
小椋佳の作詞・作曲で、自らも歌っている動画がある
だが聞いていると布施明の歌との違いに気がつく
一番の歌詞では
真綿色したシクラメンほど 清しいものはない
出逢いの時の 君のようです
ためらいがちにかけた言葉に
驚いたように 振り向く君に
季節が頬を染めて
過ぎてゆきました
赤い部分のメロディが小椋佳の歌では音程が下がって
布施明の歌とは違う
聞き慣れている分だけ布施明の歌のほうが良いように思えるが
作曲者としての小椋佳は布施明が違うメロディで歌うことを
どう思ったのだろう
森進一の「おふくろさん」では作詞家の川内康範氏が
森進一が余分なセリフを挟んだことに腹を立て
歌うことを禁止にした騒ぎがあったが
小椋佳はそんなに騒ぎ立てずにいる
彼は布施明のメロディ選択も一理あると考えて
大目に見ているのだろうか
同じ交響曲でも版がいくつもある作曲家がブルックナー
実演で5回体験し、レコードもCDも数枚所蔵しているのが8番の交響曲で
特に第3楽章はこの上なく好きだ
この楽章は(この楽章だけではないが)布施明と小椋佳のように音楽が違う
それは作曲家自身が手直ししたところと
弟子が変えてしまったところがあるようだが
クライマックス(ファンファーレ)直前の音楽の数小節が
有りや無しやの是非が問題となる
元々はクライマックの直前は、突然無関係な音楽が始まったかのように
エネルギーを貯めるような音楽が数秒続くが
別の版では晴れ晴れしいファンファーレに一気に移動する
ここで好き嫌いの話になるが、個人的にはモタモタした感じの残る
数小節多い方の音楽のほうが好きだ
数年前、名古屋でブルックナーの8番をウィーンフィルとベルリン・フィルで聞いた時
ティーレマン指揮のウィーンフィルでは数小節があるほう
メータ指揮のベルリン・フィルのほうはそれがなくて一気にファンファーレにいったが
それも悪くはなかったが、やはりあったほうが不器用なブルックナーらしい気がした
ということで、同じ音楽でもいろいろ違うということ
念のために小椋佳の歌うシクラメンのかほりは、こんな感じ
シクラメンのかほり 小椋佳
音楽は歌詞があっても基本的には抽象的なものだ
食べた人にしかわからない味を人に聞くのと同じで
人によって良し悪しも感じ方も違う
(でも何故か同じように感じる人が多い)
音楽はどこにあるか?
と問えば、楽譜の中ではなく流れているその時にしか存在しない
再現芸術としての音楽は、言葉では現しきれないものをダイレクトに
感情を通じて心のなかに入ってくる
今まで知っていた歌詞と違っていても心震えることってあるものだ
それがYoutubeで見つけた「100万本のバラ」の原曲
この歌はバルト3国のうちのラトビアの歌であることは知っていた
(大相撲の把瑠都はエストニア出身)
ネットサーフィンをしていた時に不意に目に入った「100万本のバラ」原曲の文字
聞いてみると素朴で良い(加藤登紀子さんのより良いかも)
それでSNSで動画を拡散してみると、それを見た人から
「朝からこの歌で泣けてしまいました。こんな歌だったんだね」
とのコメントがあった
この曲の印象を左右するのが歌詞であることは否定できないが
歌で泣く、、
現代人がしばらく経験していないと思われるこういう体験を多くの人ができたなら
きっと世の中はもう少し住みやすいものになりそうな気がする
「百万本のバラ」の原曲 Dāvāja Māriņa(マリーニャの贈り物)歌詞つき
リタイア生活に馴染んでくると社会的な感覚が薄れていく
特に次々に噴出してくるビジネスアイデアなどは
仮に現役だったら積極的に取り組むか
それとも慎重に構えるかどっちなんだろう
と考えたりするが、実感としてはリアルな感じはない
職人であったバッハは、今でこそ音楽の父として崇められているが
死後長いこと忘れられていた存在で
メンデルスゾーンが「マタイ受難曲」の再演を行い
再評価のきっかけを作ったとのことだ
でも、素晴らしい音楽がなんで忘れられたのか?
と想像してみるとわかる気もする
職人バッハはその作曲能力の高さ故に一般人には
理解し難い音楽になりつつあったのではないか
(世間はもっとわかりやすい音楽を要求していた?)
未完に終わった「フーガの技法」などは誰かのために作った
と言うよりは自分自身のために作ったような気がする
リタイア生活をしてるとわかるが
あえて世間に合わせるという気が希薄になってくる
そして自己完結といえば言葉がいいが
少しづつ自分以外のことに無関心になる
その傾向がバッハにもあったのではないか?
と思ってしまったのだ
急に話は変わるが、最近聴くクラシック音楽以外の曲は
懐メロと言われるものをYoutubeで選んでいる
そこで、不意に昔の曲は失恋の歌が多いな!
と気づいた(今も残っているのは)
失恋でなくても喪失感を感じさせるものが
年齢を重ねた身にもリアルな感覚で迫ってくる
今の音楽界も同じように失恋の歌とか喪失感を感じるものが多いのだろうか?
今の音楽には全く疎いのでさっぱりわからない
でも雰囲気としては元気なポジティブな雰囲気の曲が多いように感じる
身体がエネルギーに溢れ、次々に生まれる新しい音楽を味わう若者は
後悔の念と戻らない時間への追憶を呼び戻す懐メロといわれる音楽を
どんなふうに感じるのだろう
例えば浜田省吾のこの曲とか、伊勢正三の曲とかはどう感じるのだろう
片想い (ON THE ROAD "FILMS")
イルカ&伊勢正三/ 雨の物語
今の若者がいつか懐メロを聴く年齢になったら
その時はどんな曲が選ばれるのだろう
とんでもない動画を見つけた
幼い女の子のヴァイオリンのコンクールの演奏だ
世の中に天才というか、並外れた能力を持つ人はいつの時代も生まれる
モーツァルト、ポール・マッカートニーはその例だ
モーツァルトはヴィオリンの演奏を習った訳ではないのに演奏できたり
ポールマッカートニーは右利き用のギターを借りて
左利きの持ち方で平気で演奏をした
どうしてそうしたことができるのかは、神様の気まぐれと思うしかない
この小さな女の子も凄い
子供の演奏は小学校の学習発表会などで合唱を聴いたりすると
その純粋さ、汚れのない音色に涙が出てくるが
この女の子の演奏はそのレベルを遥かに超えている
幼い純粋さに感動するのではなく、音楽が語るものそれ自体が凄い
それは大人の優れた演奏家のみが表現できる音楽の世界だ
でも、少し不思議だなと思うこともある
それは何故日本でこのお嬢さんが注目されないのか?
という点だ
普通なら藤井翔太さんとか中邑菫さんくらい注目されても不思議じゃない
でも、この動画を見るまで自分は知らなかった
Youtubeで見る後藤みどりさんよりは
このひまりさんのほうが聴いてみたいと思う
それにしても、早熟の天才が生まれてくる世の中の不思議
低レベルの参加者に疲れた審査員, たった5秒で起こしてしまった9歳の日本人少女