パンセ(みたいなものを目指して)

好きなものはモーツァルト、ブルックナーとポール・マッカートニー、ヘッセ、サッカー。あとは面倒くさいことを考えること

神仏を尊び、神仏に頼らず

2007年09月01日 21時51分27秒 | Weblog
ブツブツ言う姿が明るくなくて、好きな人ではないが
言ってる事だけに注目してみると
案外洞察力に満ちている楽天、野村監督
(もっとも修羅場の数、経験も多いから
 彼より年下の者がえらそうなことを言うのは失礼かもしれないが)
そんな野村監督がポッと発した言葉に
「神仏を尊び、神仏に頼らず。宮本武蔵by吉川英治」
がある

自分も若い頃「宮本武蔵」を読んだ事があるので
そんなシーンがあったような記憶もないではない

吉岡一門との決戦に向かうときだったか
武蔵が近くにあった地蔵さんだったか、とにかくそういうものに
つい頼ろうとして向かったのだが、
フト自分の弱い心に気づき、このままでは
いつまでも何かに頼る人間になってしまう、と
武蔵は地蔵さんに背を向けて戦いに向かった
そんな状況だったように記憶している

実際のところ、言わんとする事はわかるけれど
どんな風にしても上手くいかないとき等
つい神仏に頼って(身を委ねて)しまいたくなるときがある
自分一人で心の整理をしたり、重大な判断をするのは
とても手に負えないみたいに感じられて
だれか自分以外の絶対と信じられる様なものから
指示とか命令とか安心の根拠が欲しくなってしまうのだ

端から見ていると
あんなものを信じて大金を使って馬鹿らしい
と思う様な事もいろいろあるけれど
頼るものが、それしかないとしたら
(例えば末期癌患者の癌封じの祈り等)
残念ながら人間は藁をもつかむ心境になってしまうだろう

実は、人ごとの話じゃなく、
今、自分はそんなピンチに陥っている
あまりにもよくない事が続きすぎて
お祓いでもしてもらわなければ
くらいの軽いものではあるのだが
それでも、それで安心が得られるのなら、
そして仮に上手くいったりするのなら
これも柔軟な考え方としては有りなのではないのか
とさえ思い始めている

普段なら、世の中はいい事も悪い事もあるさ
その一つ一つを自分でクリアしていかなければダメだ
くらいに思っているのだが、どうも弱気になっているらしく
何かに頼りたくなっている自分を感じる
しかし、その一方で、そんな風に乗り越えたとしても
自分で自分が褒められない、と批判する自分もいる

結局、多くの人々も同じ様な悩みを持っているに違いない
そして実は解決法はどちらでもよいかもしれない
ただ、本当の意味で自分を褒めてあげたい、と言える人は
それだけで尊敬に値しそうな気がするし
自分もそのようになりたいが、、、
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする