パンセ(みたいなものを目指して)

好きなものはモーツァルト、ブルックナーとポール・マッカートニー、ヘッセ、サッカー。あとは面倒くさいことを考えること

熱しやすく、忘れやすい

2007年09月24日 09時37分00秒 | Weblog
自民党総裁、安倍首相が辞意を表明した時点では
麻生氏が次期総裁、と思っていたが
あっという間に状況は福田氏に流れていって
実際、昨日の選挙によって福田氏が当選の運びになった

マスコミでは従来の派閥談合型の自民党に逆戻りとか
演説会でも政策論争がなかったとか
街頭では麻生氏の方が、特に若い人には人気があったとか
敗戦したばかりの麻生氏を迎え出た集団の麻生コールのシーンを
映して民意と永田町のズレを現そう(?)としていたようだが
何故だかこのシーンはどこか不自然な気がしてならなかった

麻生氏が意外に頑張ったように評価されていたが
そもそも最初の時点では麻生氏がと
ほぼ決まりと出ていたのが、なぜ変ってしまったのか
つまりは麻生氏はよく頑張ったというよりは
むしろ敵が多すぎたのではないのだろうか

難しい事はわからないが一般の感覚として
当面の相手、民主党の攻撃を考えた場合
民主党は福田氏の方がやりにくいように思える
なんだか、のらりくらりとかわされてしまいそうで
麻生氏なら挑発の乗ってチョンボをしてしまいそうだが
福田氏はつかみ所がない印象がある
これは自分だけではなく、割と多くの人の感じている感覚だ
だから自民党の中にもこのように感じる人がいたとしても
何の不思議もなく、派閥が雪崩をうって福田氏に流れたのは
実はこんな気持ちが多いのではないかと
素人目には思ってしまう

それにしても総裁選の街頭演説
投票権は自民党員にしかないし
単に自民党の総裁選びにすぎないのに
なぜ選挙権のない人々に対して訴えるのだろうか
民意の手応えを感じるため(?)
なんだかよくわからない

そしてこの国の国民性
判官びいきと忘れっぽさ
麻生人気というものの最初の予定通り麻生氏で決まっていたら
若者は麻生氏を
ここまで持ち上げただろうか?
つまりは政策ではなくて勢いとか雰囲気でマスコミが
若い麻生、古い体質の福田という構図に
一気に作り上げてしまったのではないのだろうか

そしてもう安倍さんの事は忘れかかっている
なんといってもあの無責任ぶり、
週刊現代の取り上げた脱税疑惑
それらはもう過去のものになりつつある
本当にこれでいいのだろうか

このぶんでは一度自民党にお灸をすえたという形で
前回の参議院選挙が総括されてしまうかもしれない

別に民主党を支持しているわけではないが
いろんな意味で、このままの国民の政治意識では
まずいと思えてならない

それともう一つ、話は変わるけれど
衆議院の選挙時に行われる最高裁裁判官の審判投票
これは現実的に機能しているのだろうか
裁判官の名前も実績もわからない
(配布される書類には経歴等が書かれているが
 専門的な用語が多くて何がなんだかわからないし
 全員一致の判断では、国民はこの人がどんな考えを持っているか
 判断に困ってしまう)
これは年金がほったらかしにされていたのと同次元で
ほったらかしにされていた問題ではないだろうか?
形式だけの事にしては
印刷代、開票の人件費、
機能してない割には多くかかりすぎていないだろうか?
このことに違和感を感じる国会議員はいないのだろうか?

コメント
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