パンセ(みたいなものを目指して)

好きなものはモーツァルト、ブルックナーとポール・マッカートニー、ヘッセ、サッカー。あとは面倒くさいことを考えること

ベートーヴェンの緩徐楽章

2009年03月18日 22時08分10秒 | Weblog
最近好んでベートーヴェンのゆっくりした楽章を取り出して聞いている
折れそうになったり、弱気になりそうな心を
知らず知らず慰めたり激励しようとしているのかもしれない

いつもそうだとは限らないが音楽の中に身を任せると
ブルックナーのアダージョの場合とは少し違うけれど
気持ちがスッキリするようなことがある

ブルックナーは自然の中の寂寥感やメロディーだか
単なる音響だかわからないようなフレーズで、どこかうっとりしてしまうが
ベートーヴェンのはそれを聞いている人も
しんどいこと、辛いことを経験して、それでも
よい意味でハッピーエンドに向かうような過程で
勇気づけられるみたいなところがある

それで今日は29番のピアノソナタ「ハンマー クラヴィーア」の第3楽章
もちろんレコードで アシュケナージ演奏のもの
次に「荘厳ミサ」からアニュスデイ クレンペラー指揮
これもレコードで

ベートーヴェンは緩徐楽章だけでなく
やはり半端じゃなく凄いなと思うようになった
最初は彼の音楽の迫力に圧倒され
次第に押し付けがましいところが辛くなり離れてしまったが
しばらくして戻ってみるとその職人技にまた驚嘆したり
そして音楽と心理と構造が見事なまでに成立していることを
耳が感じている

(同じような完璧な音楽はモーツァルトのも感じてしまう
 彼はそんなに難しいことをしていなくても
 フッと書いたメロディーが単純な伴奏ですら
 全体としてみると必要不可欠なもの
 バランスの取れたもののように何故だか感じてしまう)

だからフルトヴェングラーがベートーヴェンを神と崇めて
必死に探求した気持ちも理解できる気がする

それにしてもクレンペラーのこの演奏は大好きだ
高校のとき初めて聞いて目頭が熱くなったシーンが今もよみがえる

そしてレコード 
やっぱりCDよりもずっといい音している
音量をしぼっても厚い音してるし、楽器が楽器の音をしている
ますますCDが聞けなくなりつつあるが困ったものだ





コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする