確か読んだはずなのに、全然覚えていない事がある
幸い同じ本を2回買うという経験は
今のところ1回しか経験していないが
内容を覚えていない!
という事実が少し悲しい
小林秀雄「モオツァルト」
本屋の文庫本コーナーのぞいていたとき
確か自分の書棚にもあったはず!
と思い出して何年かぶりに引っ張りだしてみた
覚えていたのは冒頭の部分だけ
モオツァルトの音楽は真似しようとしても誰一人
上手くいかなかった
というゲーテの引用の部分と
40番の楽譜の掲載のあった事だけ
割合抵抗感なくスラスラ読み進めていけたが
覚えていなかったのは
その内容が理解に至っていないからではなかったか?
確かに本は読む時期、タイミングがあるかもしれない
その時の精神状態によって読み取り方は随分違う
ただそれにしても不思議に思う事は
この小林秀雄の本に限らず、ある種の本は
内容がページ数に関係なく詰まっている様に感じられる事
同じ文字数でも
ある本はいくつかのイメージ、考えがそこからと見とれるのに
別の本はただ情景描写で終わっているように感じられる事がある
俳句の場合はもっと極端だ
評価の定まった芭蕉の句等は
それが17文字の世界だとは思えないほど広がりを持つ
一方素人の作は、ただそれだけ!で終わっている
短いものに様々な思いを込めるのを
技巧とか技術とか言うのだろうか?
しかし、この様々なものを込める為には
また読み取る為には様々な知識が必要となる(例えば古典とか)
つまり内容の濃いモノは必然的に
一種分かりにくいものになる可能性がある
最近読み終えた「天翔ける皇子」 藤ノ木陵
蘇我氏と物部氏の権力闘争の中での
穴穂部王子の生き様を記したものだが
これは最初非常に読みやすかった
風景描写も目の前に容易にイメージしやすかった
しかし、ところが、その先がいけない
急にその分かりやすさが
自分にとってはつまらなくなってしまった
穴穂部王子の表情描写で終わらずに
その感情の説明的なものがつく為に
(テレビの大げさな演技、テロップの説明みたい)
分かりやすいが、想像力を働かす部分がなくなって
つまらなくなった
なにも勿体ぶって物事を難しくする必要はない
まして難しい事が価値あるもの
というわけでもない
しかし、確かに鑑賞側の能力、想像力を当てにして
作られた作品類は
ただ難しいだけではすまされない何かがある
現代音楽にしてもしかり
ヴェーベルンのほんの数小節しかない音楽も
(気合いを入れて聴いてみると)
そこには現代人にしか感じ取れないであろう美とか
孤独感、寂寥感が感じ取れる
この難しそうなものにトライする価値がある
といっても自分にとっては
大江健三郎の小説はイメージが難しく
ほんの数ページから進んだ事はないが、、、
やっぱり苦手はあるもの?
幸い同じ本を2回買うという経験は
今のところ1回しか経験していないが
内容を覚えていない!
という事実が少し悲しい
小林秀雄「モオツァルト」
本屋の文庫本コーナーのぞいていたとき
確か自分の書棚にもあったはず!
と思い出して何年かぶりに引っ張りだしてみた
覚えていたのは冒頭の部分だけ
モオツァルトの音楽は真似しようとしても誰一人
上手くいかなかった
というゲーテの引用の部分と
40番の楽譜の掲載のあった事だけ
割合抵抗感なくスラスラ読み進めていけたが
覚えていなかったのは
その内容が理解に至っていないからではなかったか?
確かに本は読む時期、タイミングがあるかもしれない
その時の精神状態によって読み取り方は随分違う
ただそれにしても不思議に思う事は
この小林秀雄の本に限らず、ある種の本は
内容がページ数に関係なく詰まっている様に感じられる事
同じ文字数でも
ある本はいくつかのイメージ、考えがそこからと見とれるのに
別の本はただ情景描写で終わっているように感じられる事がある
俳句の場合はもっと極端だ
評価の定まった芭蕉の句等は
それが17文字の世界だとは思えないほど広がりを持つ
一方素人の作は、ただそれだけ!で終わっている
短いものに様々な思いを込めるのを
技巧とか技術とか言うのだろうか?
しかし、この様々なものを込める為には
また読み取る為には様々な知識が必要となる(例えば古典とか)
つまり内容の濃いモノは必然的に
一種分かりにくいものになる可能性がある
最近読み終えた「天翔ける皇子」 藤ノ木陵
蘇我氏と物部氏の権力闘争の中での
穴穂部王子の生き様を記したものだが
これは最初非常に読みやすかった
風景描写も目の前に容易にイメージしやすかった
しかし、ところが、その先がいけない
急にその分かりやすさが
自分にとってはつまらなくなってしまった
穴穂部王子の表情描写で終わらずに
その感情の説明的なものがつく為に
(テレビの大げさな演技、テロップの説明みたい)
分かりやすいが、想像力を働かす部分がなくなって
つまらなくなった
なにも勿体ぶって物事を難しくする必要はない
まして難しい事が価値あるもの
というわけでもない
しかし、確かに鑑賞側の能力、想像力を当てにして
作られた作品類は
ただ難しいだけではすまされない何かがある
現代音楽にしてもしかり
ヴェーベルンのほんの数小節しかない音楽も
(気合いを入れて聴いてみると)
そこには現代人にしか感じ取れないであろう美とか
孤独感、寂寥感が感じ取れる
この難しそうなものにトライする価値がある
といっても自分にとっては
大江健三郎の小説はイメージが難しく
ほんの数ページから進んだ事はないが、、、
やっぱり苦手はあるもの?