どんでもなく悪い奴がいる
と同時に、とんでもなくいい人がいる
後者を知ることになれば「生きてて良かった」とか
「人生は生きるに価する」と肯定的な考えにつながる
昨日、三遠南信地域連携ビジョン推進会議のインターンシップの集合研修があって
そこで中間発表された中に、本当に頭の下がる行動をされている方があった
健常者でない方の世話をする方で、反応のない人を相手に根気よく、粘り強く
事に当たっている
それは絶対自分にはできないことで、ほんとうに素晴らしいと思う
ところで先に簡単に悪い奴、いい人がいると述べてしまったが
本当は一人の人間の中にいい部分と悪い部分があるだけではないか
と思うことが数々だ
誰だって一歩間違えれば極悪人になる可能性を持っている
悪い人間でないのはたまたまに過ぎないかもしれない
人の心の中には絶えず良いこころと悪い心がせめぎあっている
だから人は良い心が勝つように自分の心を鍛えなければならない
普段の生活の中で常に人として間違いはなかったかと
振り返ることにより、知らず知らずのうちに正しいことが優先されるようになる
そして、仲間も良い仲間と知り合えるようになる
ところが、国の最高権力の府、国会議員はどうだ!
彼らは常に人としてのあるべきあり方を省みているか?
多分気づいていないかもしれないが、彼らには専門的な知識があっても
人間力がない
それは国会議員が尊敬されるべき人格の人たちの集まりで
なくなってきているということだ
彼らにあるのは、損か得かの判断力だけ
ここ数日のドタバタ劇を見ると本当にそう思う
いい人に出逢えば、いい影響をうけられる
ところで人に合うためには
結局自分がいい人にならなければならない
いい人かどうかの判断は自分ではなく他人が下すものだとしても
自分で考えて、少なくとも間違っていない!
と思うような生活を続けないと
いい人に出会うような幸運は巡ってこない
この部分の教育
実は今の日本に大きく欠けているのはこの部分のような気がする
道徳と言って頭から抑えつけるのではなく
もっと深い洞察力の中で人を理解し、、、、、
やっぱり教養、哲学の部分を鍛えていかないと
困る人ばかりになってしまいそうに思うのは
考えすぎか?(ならば良いのだけれど)