同業の弁護士、あるいは理性的な討論が出来る人がふさわしい
今日は休みの一日
たまたま特ダネ(?)を見ていた
小倉さんの番組に従軍慰安婦で大騒ぎの橋下大阪市長が
中継先から出演
テーマは勿論、従軍慰安婦の問題
見終わって感じた事といえば
冒頭の一文
さすがに言葉を武器とする仕事をしていたとあって
起承転結、理屈は通っている
社会的な理解度とか伝わっていることの現実への認識は
若干甘いところはあったかもしれないが
言葉上のバトルではコメンテーターよりも上だった印象を持つ
メディアのコメンテーターはそうせざるをえないか
どうかは分からないが、常識的、分別的なコメントを発する
しかし、ニーチェやジョン・レノンがしたように
問題提起はセンセーショナルな方が効果的
この意味では、多少橋下氏の発言の変化があったとしても
なかなかツボを抑えた提案ではなかったか
人間だから、動物だからどうしようもない
この扱いにくい本能的な部分を
言わずもがなの発言を、つまり具体的に口に出してしまう橋下氏
まともに議論することは現実的なのだが
なかなか表立って上げにくい性の処理の問題
以前、復活の日と言う映画の中で
たまたま南極にいて生き延びた人間は
ローテーションで性の営みを行うルール作りを
したという場面があったが
これなどは良いか悪いかは別にして現実的な方法
そしてこれと同じように戦場下
などでは女性にはモノ扱いで批判を浴びてしまいそうだが
逃げ場というか、発散場所が要求されるのは
理性ではコントロールし得ない現実なのではないのだろうか
それは、良いことではない
それは今の判断
そして今の判断を持続するためには
緊急の事態を作らないことが一番
人間のどうしようもない部分への理解
それは公にはかなり難しい
ところで、一番の問題は
真意が伝わりにくい言い方をした橋下さんでも、
また話の方向が変わりつつある橋下さんでもなく
相変わらず、切り取りの表面部分だけを取り上げるメディアのやりかた
国外的な部分では切り取って判断するのは
当事国の戦略的な方法だから仕方ないとしても
その論法に乗って騒いでいるだけではホントどうしようもない
どうしてこの国はきちんと議論することが出来ないのだろうか
メディアは本質的なことの報道が出来ないのだろうか
難しいことは専門家に任せておけ
自分は何をすればよいのか指示だけをしてほしい
仮に本質を知らなければならない時にいたっても
わかりやすく説明してくれる人が必要
それを聞いて分かった気持ちになり
そのうち忘れてしまう
こんなことがずっと続いているし、このままだとこれからも続きそう
日本の教育の一番の間違いは
指示待ちの、自ら判断する人間をつくらないこと、じゃないのか
お上第一主義で
それにしても、感情的な威圧感を除いたディベートを
行うことができるようになるのは必要なことと思える
現在、日本の中で橋下さんに賛意を公言するのは
とてもむずかしい雰囲気で、ちょっと心配なあの老人くらいが
勢いに任せて口にするくらいだけれど
開き直るのではなく、半ば哲学的な問題としても
この手の問題はしっかりみんなで考えたほうがいい
あえて口にしないと言う知恵の部分も含めて