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パンセ(みたいなものを目指して)

好きなものはモーツァルト、ブルックナーとポール・マッカートニー、ヘッセ、サッカー。あとは面倒くさいことを考えること

ベートーヴェンとモーツァルトのお墓を訪ねて

2013年06月25日 20時06分35秒 | 旅・旅行
6月18日 ウィーンでのこの日はまるでお墓参りの一日

ベートーヴェンの眠っているウィーンの中央墓地へは
U3で終点のSimmeringまで行って、そこで71番の路面電車に乗り換え
ZentralfriedhofのZweite Torで下車

門をくぐると案内がある

ところがどこがベートーヴェンのお墓か分からない

結局のところ大通りを真っ直ぐ200メートル歩けば
左手にmusikerという看板が出ていて容易に見つかるのだけれど
正直なところ、ちょっと苦労した

ベートーヴェンのお墓

いろんな印刷物で見られるおなじみのもの

37年前ここに来た時は本当に感動した
それは自分がベートーヴェンの心酔者だったためではない

彼の音楽が「見えないけれども確かにあるもの」
を自分に提示し
それがその後の自分の人生にとっても
重大な位置を占めるようになったのだが
とにかくそのキッカケをつくった人の眠るところ
37年前もそのキッカケがなければここには来なかった
そんな意味でやたらと感動した

今回はもう少し冷静に眺められた
そして静かに手を合わせた

彼の周りには、シューベルトの墓石

ブラームスの墓石


ベートーヴェンの脇を固めるように囲っている

彼らも自分のレベルとは随分違うがベートーヴェンがいなかったら
違った人生を送っていただろう
尊敬、畏敬の対象として近くに居たかった気持ちはわからないでもない

その後、次はモーツアルトの眠る聖マルクス墓地へ
来た路線を引き返し、途中で別のトラムに乗り換え、St.Marxで下車
5.6分歩くと入り口に

そまま緩やかな坂道を登って行くと左手にあった


かわいそうなモーツァルト
現在の名声とは全く反対の、信じられないような無関心に満ちた葬られ方
それはまるで意地悪な神様が、音楽史上最大の天才の秘密は明らかにしない
という意図があるかのよう

それにしても、今を生きている人間にとっては
モーツァルトを利用した?経済的な活動がもっとも大事なことのようで、
おみやげ屋、コンサート会場などのモーツァルトの扱いは
どこかしら音楽とは関係ないところで
動いてしまっている気がしないでもない

フルトヴェングラーのお墓、ブルックナーの眠る聖フローリアン修道院、ベートーヴェンのお墓、
そしてモーツァルトのお墓をめぐる、まるでお墓参りのような今回の旅
それは信心からではない

むしろこの何十年での自分の変化を確認するための旅
「見えないけれども確かにあるものがある」
と考えがちの自分の今の位置の再確認の旅

この意味では観光地を積極的に無駄なく訪れるというものではなかった
確かに帰ってからは、あそこに行っておけば良かった
と思わないこともない
だが、人はあれもこれも望むことは出来ない
自分は自分らしい選択をしたこの旅を、
久しぶりに自分自身に戻ることが出来た旅として
そしてまるで夢の中のような出来事として記憶に留めることだろう





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「上へ、上へ!」聖フローリアン修道院にて

2013年06月25日 16時36分47秒 | 旅・旅行
過去の記憶をたどる旅 5日目の6月16日 
ザルツブルクからウィーンに向かう途中リンツに立ち寄った

この街の外れにある聖フローリアン修道院は
ブルックナーがオルガニストとして活躍した場所ということだけでなく、
本人の希望でそのオルガンの下に棺が納められているところ
朝比奈隆の録音の中にもこの場所での演奏されたものがある

この旅はノイシュヴァンシュタインへのバス旅行を除けば
ほとんど日本人と接することがなく
リンツ駅に降りる日本人は見かけない

バスステーションから聖フローリアン行きに乗車
約30分ほどで到着
停車場から少し歩くとアルバムジャケットにも使われる修道院の姿が現れる


この場所の昔の記憶は、ただ壮麗なところだったというしかない
いったい昔は何を見てきたのだろう

中に入ると

圧倒的な表現意欲というよりは、壮麗でもどこか控えめの感じのスッキリした感じ

振り返ると

ブルックナーのオルガン
この下に彼は眠っている?

教会内は数人しかいなかった
ふとしたキッカケでおばあさんと話すことになった

「ブルックナーの棺が納められているのですよ」
「ああ、そう!どこからいらしたの?
 昨日結婚式があってまだ花が飾られているでしょう。」
「日本から」
「そんなに大きな声を出しちゃダメ。ここは神聖なところ、静かに。
 天井を見てご覧なさい、神様は偉いから上の方に登っていくように表現され、
 私達人間は下にいるのです」
そんなことを拙いドイツ語でやり取りした

やがておばあさんは教会から出て行って
そこにいるのは自分だけとなった

それから、この空間を体全体で感じるつもりで席に座った
その刹那、先ほどのおばあさんの言葉が頭に浮かんだ
神様は上の方に登っていくように、、、

そうか、それで9番のアダージョの冒頭、
どこまでも上昇するような旋律が生まれたのか

ブルックナーはこの最後の交響曲を
愛する神に捧げるつもりで作曲したとされる
なるほど、心情的な面だけでなく音階も上に上にと向かって、、、
そんな風に自分勝手に思い込んでいると
頭の中でその部分の音楽が鳴り始めた
どんどん上昇していく
天井の絵画もどんどん登っていくみたい

数分間、ボーッとしながら思い込みであったとしても、
奇跡のような充実した時間が過ぎた
まさにこの時間のためにここに来たのだ
と感じるまでの

あとの時間はおまけのようなもの
修道院近くの田舎の風景がよく見えるレストランに立ち寄りビールを


よく見るとグラスには目盛が記されている
ごまかさないためか、ドイツ的な真面目さがそうさせるのか

このレストランからの眺めはとても良い

のんびりとした田舎の風景が遠くまで見渡せる
この辺りの自然を満喫するための
散策の為のコースもあるらしい

予めこのことを知っていたなら
ここでの時間はもう少しとったかもしれない
だが帰りのバスの時間までには余裕が無い
少しばかり残念な気持ちを残しながら
聖フローリアンをあとにした
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