前に行った時も感じたことを
今回も感じる事になった
ドイツと日本の比較
「かなわないな!」
何がかなわないか?
勿論日本の方が優っている部分もある
鉄道の時間の正確さ、人の親切なこと、自販機の便利なこと
しかし、それらを差し引いても根本的なところで
負けているような気がしてならない
その自然、森、きれいな草原、美味しそうなフルーツ、自転車の利用
路面電車と車、バスとの融合などなど
そこから感じられる全体的な印象として日本の現在は
皮層的な感じがしてならない
ドイツは時間がかかろうが、根本から徹底的に考え
我慢強く実行していく国
一方日本は結果をすぐに求める「とりあえずの国」
全ての問題に関しても、向かう時の態度は
「とりあえず」ではないのか
難しい理屈、面倒な理解に至る思考、そうしたものは
攻略本を読んでしまうかのように
飛ばされて即結果だけを求められる
そして、一人ひとりは自分は何をしたらよいかだけを
考えることになる
今回思いを新たのしたのが、野菜・フルーツのこと
町中できれいにディスプレイされた野菜・フルーツは本当に
美味しそうだった
朝食時に頂いたフルーツはしっかりと個性を感じさせて
なにやら植物の生命力さえ感じるものだった
オーガニック農法に関することでも
日本の感覚とヨーロッパ諸国とはその最初のところで
なにか違ってやしないか?
日本は高付加価値のため?
しかし、ヨーロッパはそうするのが当たり前
今ある自然を、食べ物を大事にしたい
そんな風に感じられる(根拠はないが、そう感じたということ)
話は飛ぶけれど、ヨーロッパに様々な個性的なチーズが存在するのは
あれだけ様々な牧草の生えているところに
牛が放牧されているからではないのか
チーズの香りは結局、牛の乳、つまるところ牛の餌となる
草の香りが大きく左右するのではないのか
(もっとたどれば土に行き着くけれど)
この広い大地には効率的に生産するために
化学肥料をばらまくなんてことはしなくても済んでいるのでは
あるいは、そういうことに関する嫌悪感がヨーロッパの国にはありはしないか
日本の食品は個性がなくて(癖がない)ただ食べやすい
という視点から評価される
しかし、ヨーロッパでは食べ物は個性があって当たり前
むしろそれを楽しむようにしなければ、、
と考え方が大きく異なる気がする
そしてこの日本のお化粧された考え方が
色んな所ではびこり、結局は日本の根本的な進歩を
妨げているような気がしてならない
日本に今大事なことは「とりあえず」の考えを
少し後退させること
時間がかかろうが大事なもの、ことは深く学び
個々の知識・判断力を向上させること
それは「個の確立」という言葉で表わされるかもしれない
だとしたら、37年前、若い自分が感じた必要性を
今も感じているということ
日本は少しも変わっていない
日本はこんなに表面的に変化するだけでいいのか
少し不安に思ってしまうのは杞憂だろうか
今回も感じる事になった
ドイツと日本の比較
「かなわないな!」
何がかなわないか?
勿論日本の方が優っている部分もある
鉄道の時間の正確さ、人の親切なこと、自販機の便利なこと
しかし、それらを差し引いても根本的なところで
負けているような気がしてならない
その自然、森、きれいな草原、美味しそうなフルーツ、自転車の利用
路面電車と車、バスとの融合などなど
そこから感じられる全体的な印象として日本の現在は
皮層的な感じがしてならない
ドイツは時間がかかろうが、根本から徹底的に考え
我慢強く実行していく国
一方日本は結果をすぐに求める「とりあえずの国」
全ての問題に関しても、向かう時の態度は
「とりあえず」ではないのか
難しい理屈、面倒な理解に至る思考、そうしたものは
攻略本を読んでしまうかのように
飛ばされて即結果だけを求められる
そして、一人ひとりは自分は何をしたらよいかだけを
考えることになる
今回思いを新たのしたのが、野菜・フルーツのこと
町中できれいにディスプレイされた野菜・フルーツは本当に
美味しそうだった
朝食時に頂いたフルーツはしっかりと個性を感じさせて
なにやら植物の生命力さえ感じるものだった
オーガニック農法に関することでも
日本の感覚とヨーロッパ諸国とはその最初のところで
なにか違ってやしないか?
日本は高付加価値のため?
しかし、ヨーロッパはそうするのが当たり前
今ある自然を、食べ物を大事にしたい
そんな風に感じられる(根拠はないが、そう感じたということ)
話は飛ぶけれど、ヨーロッパに様々な個性的なチーズが存在するのは
あれだけ様々な牧草の生えているところに
牛が放牧されているからではないのか
チーズの香りは結局、牛の乳、つまるところ牛の餌となる
草の香りが大きく左右するのではないのか
(もっとたどれば土に行き着くけれど)
この広い大地には効率的に生産するために
化学肥料をばらまくなんてことはしなくても済んでいるのでは
あるいは、そういうことに関する嫌悪感がヨーロッパの国にはありはしないか
日本の食品は個性がなくて(癖がない)ただ食べやすい
という視点から評価される
しかし、ヨーロッパでは食べ物は個性があって当たり前
むしろそれを楽しむようにしなければ、、
と考え方が大きく異なる気がする
そしてこの日本のお化粧された考え方が
色んな所ではびこり、結局は日本の根本的な進歩を
妨げているような気がしてならない
日本に今大事なことは「とりあえず」の考えを
少し後退させること
時間がかかろうが大事なもの、ことは深く学び
個々の知識・判断力を向上させること
それは「個の確立」という言葉で表わされるかもしれない
だとしたら、37年前、若い自分が感じた必要性を
今も感じているということ
日本は少しも変わっていない
日本はこんなに表面的に変化するだけでいいのか
少し不安に思ってしまうのは杞憂だろうか