パンセ(みたいなものを目指して)

好きなものはモーツァルト、ブルックナーとポール・マッカートニー、ヘッセ、サッカー。あとは面倒くさいことを考えること

ニュースは足で探していなかったメディア

2013年09月07日 09時33分45秒 | あれこれ考えること
先日のみのもんたの朝ズバで、
東京新聞の解説のなんとか言われる方が
「福島の原発に関する東電や政府の発表することは信じられないので
 あれ以後は自分たちで調べる様になっている」
と口にされた

それは東京新聞だけでなく、他の新聞メディアも同じような雰囲気だったが
ちょっと呆れてしまった
そんなことはあたり前のことじゃないのか!
自分たちの足を使って実感を伴った情報を集め報道する
これができていなかった(?)ことに今更ながらショックを受ける

大本営の発表を批判精神もなく垂れ流しするだけのメディア
それは、東京オリンピック招致インタビューで海外の記者が
福島の汚染について鋭い質問をしていた姿と対極の位置になる

日本音記者はあんな風にズバッと聴けたのだろうか
(えげつない質問なら芸能記者の方が迫力がある?)

批判精神が当たり前だったメディアは
いつ体制側の御用聞きになってしまったのだろうか
(法律的な縛りのせいだけではないだろうに)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

メディアの柿谷の扱い方

2013年09月07日 08時51分06秒 | あれこれ考えること
自分は柿谷に注目している
確かに傑出した存在になる可能性は十分にある
ひらめき、怖さは今までの真面目なだけの日本にはない特徴
サッカー関係者が彼に期待する気持ちはわからないでもない

しかし、問題は柿谷の扱い方
(今度は柿谷本人の問題ではなく、周囲の問題)
メディアは本当にサッカーをわかった上で彼を取り上げているのか
今の扱い方はジャニーズ事務所のタレントのそれじゃないのか
テレビのサッカー解説者も勇気を持って柿谷の批判はしにくい状況
また出てくる言葉は版で押したようにトラップの話ばかり
そして挫折した時のこと
テレビ中継も岡崎と柿谷の名前を間違えたり
得点を上げたにもかかわらず工藤よりも注目されたり
(そういえばマンチェスターと横浜の試合で負けたのもかかわらず
 MVPに香川が選ばれたことがあったのも妙な選ばれ方)
メディアはサッカーを愛していない
愛しているのは話題、視聴率

そろそろそこから抜け出す報道(紙も電波も)をすべきじゃないのか
いつまでもわかりやすい幼稚な報道ばかりでは
それを消化する人たちの知識も増えていかない

一部で行われている試合の個人採点表
これはちゃんとすべきではないのか
Jリーグの試合を一般紙で全て行うのは無理だとしたら
せめて代表戦くらいは行うべきだと思う

香川でも本田でも悪い時は悪い
そして柿谷も物足りない時は物足りないと
報道されるべきだ

ところで、柿谷
消えてる時間が多い、守備がイマイチ
これは事実
しかし、なにか不気味、怖さというものは
相手側に感じさせる雰囲気は醸し出させているのではないか
それは実際闘う現場、その当事者が肌で感じることのようなものではないのか

ワントップのもう一人の大迫
彼は上手いし効果的かも知れないが怖さが感じられない
(工藤はもしかしたら岡崎よりも効果的な選手になるかも知れない)
ザッケローニ監督は練習を通じて選手の特徴を把握する
その現場での勘は選手のポテンシャルの可能性を見ぬく
その柿谷の可能性をザッケローニは本田と同じように感じたのではないか

タレント、才能、センス
代表レベルになると技術以外にも上記の部分が必要
その使い方がまだ柿谷は荒削り、ムラがある
しかし、まだ伸びしろがありそうで将来が楽しみ

そこで話が戻って、この可能性にあふれた選手を
メディアの一時の興味で扱ってもらいたくない
扱うのならもっと真剣にサッカーの視点で扱ってもらいたい
内田と人気投票とかの話はどうでもいいこと
(女の子はそこにしか興味がないのかもしれないが)

でも変わらないかな?
メディアはその存在意義を再定義し直さないと
すべての面でダメになっていきそうな気がするのだが

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする