パンセ(みたいなものを目指して)

好きなものはモーツァルト、ブルックナーとポール・マッカートニー、ヘッセ、サッカー。あとは面倒くさいことを考えること

論語と個人プレー(柿谷曜一朗に望むもの)

2013年09月17日 20時28分52秒 | サッカー
情熱大陸で取り上げられたり
そのトラップが注目されたり
若き日の天才ぶりが今になって話題になったり
ふてくされて起こした寝坊事件からの復活ぶりが
サクセスストーリー的に扱われたり
とにかくサッカー界では久々のマスコミの餌食(?)
柿谷曜一朗

だが自分の関心は
あくまでのサッカー選手として現在の、未来の柿谷曜一朗
もう少し言えばセレッソではなく代表の姿に関心がある

正直なところ
セレッソは今の状態では優勝はキツイかな
エジノがセレッソサポーターからは不評らしいが
その気持はよく分かる
雑なパス、予想する力(想像力の)無さ
フィジカルは強くても機能してるとは思えない

さて日本代表の柿谷
いろんな人がいろんなことを言う(当たり前だが)
もっと自分を出すべき(気を使いすぎ)
デフェンスが緩すぎる(もっと戻って守備をせい)
しかし、それらの不評も
柿谷のインタビューをしっかり読むと
案外一方的過ぎる批判なのかな思ってしまう

つまり想像以上(?)に彼は考えてサッカーをしている
2列目に気持ちよくプレーしてもらうために
無理に下がってスペースを潰さない
下がりすぎてゴールから遠くなって
相手側が守りやすくならないようにするとか
その為に実際はボールタッチが少なくて
イライラするけれど我慢してるとか
とりあえずはチームに溶けこむことを(そのスピードを加速させることを)
第一番として考えている

そこで思い出したのが論語
吾 十有五にして学に志し、で始まる文章
その最後の文に注目
七十にして心の欲する所に従いて矩・のり・を踰えず
つまり、自分のやりたいことをしていてもチームプレーの範囲からは
外れないということ
そのためには自分を律しての普段のプレーが必要ということになるのだろうが
本田が言うように最後は個の部分が勝負になるので
個の部分で特異なセンスと技術を持つ柿谷には
早くこの境地になってもらいたい

それにしてもマスコミは持ち上げて落とすか
無関心となるかのどちらか
女の子は今の時代の情報を共有しているかどうかが関心の的で
必ずしもサッカー自体ではない
つまり無責任ということ

この無責任なしかし陥りやすい誘惑
再び天狗になって同じミスをしては欲しくないが
少し変人はセンスあるFWの宿命かもしれないので
(そのくらいのほうが迫力ある)
人間性のその辺りは大目に見るとしてもサッカーの世界では
早く、心の欲する所に従いて矩・のり・を踰えず
の状態になってほしいものだ

コメント
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