クラシック音楽が好きだ
別に高尚だとは思っていないし、サッカーやプロレスのパフォーマンスを
楽しむのとさほど違いはないと思っている
ただし楽しむには若干のコツが必要で(何ごともそうだけど)
コツを覚えるのには、偶然のきっかけとか時間が不可欠かもしれない
たまたま自分の場合は、あるクラシック音楽を聴いて
とてつもなく圧倒された事があり、それを何度も体験したくて
聴いてるうちに楽しむコツを覚えた、みたいなものだ
ところが好きだからと言って何度も聴けない曲がある
偉大な曲「第九」や「マタイ受難曲」などはシーズンになると
演奏会プログラムにあがる
しかし、自分に限ってはこれらの曲の演奏を「聴き比べる」という
楽しみ方はどうも出来ないでいる
それは前に聴いた時に「もう一生分の聴き方をした」と感じられるような
経験をしているからだ
偏っているがフルトヴェングラーの第九、リヒターのマタイ
もうそれだけでお腹はいっぱいになっている、、みたいなものだ
ところが大曲の中でも何度でも聞きたい曲は存在する
しかも過去に感動してお腹いっぱいと感じる曲なのに
もう一回聴いてみたい、、自然とそんな風に思える曲がある
それらの曲をツラツラと拾い出してみると、今更ながら
あろことに気づいた
それはモーツァルトとブルックナーに偏っているということだ
何度も聴きたい曲、それは二人の音楽
そしてそれに共通するのは、
多分、彼らの音楽が人生観とか生き方とかはあまり関係ないところで
音楽、音自体に楽しめる要素があるということではないかと想像する
ふたりとも何かを強要するわけじゃない
感じる人が感じればいい、、まるでそんなふうな装い
ということで、聴きたい曲であるブルックナー
3月に名フィルで八番のコンサートがありチケット購入済み
今までメータ、ヴァント、朝比奈、と全部それなりに楽しめて外れなし
だったので今回も期待できそう
土曜の朝、毒にも薬にもならないお話、、、