この間購入した「論語」
パラパラと適当に開いて、そのページに縁があるものだ、、と思い込むことにして
読むことにしている(もちろん現代文のほうを)
ところで「論語」は短い文章が多い
最近、西欧系のくどいくらいに長ったらしい読み物を読むことが多くなっているので
これに比べると非常に楽だ
短いということは、想像を膨らませたり前提となる知識がないとダメだ
俳句は575でとても短い詩だが、楽しむにはそれなりの知恵と経験が必要なように
短い文章は実はそれなりに手強いのかもしれない
物事を説明しようとする、なるべく正確にしようとする
その場合は説明がどうしても長くなる
長くなると説明文のなかに出てきた言葉や概念も説明しなければならなくて
それがために話がややこしくなる
短い文章は読み手・受け手の能力・想像力を前提として言いっぱなしにする
これはどこか音楽に似ている(歌でない音楽)
音楽は言語で何かを正確に伝えてるわけではない
聴いた人の感受性・想像力を刺激するだけでその結果は相手任せ
でも何故か同じような感情を持つことが多いのが人の不思議なところ
ということで、得意の(?)毒にも薬にもならないお話
しかし、今読んでる「失われた時を求めて」は、とんでもなくワンセンテンスが長い
放り出したくなるが、まだそれも忌々しいので粘ってるが、、、最後まで行けるかな