パンセ(みたいなものを目指して)

好きなものはモーツァルト、ブルックナーとポール・マッカートニー、ヘッセ、サッカー。あとは面倒くさいことを考えること

岐阜市の公開討論会に行ってきた

2018年01月11日 08時35分30秒 | あれこれ考えること

1月9日 火曜日 岐阜市のみんなの森 ぎふメディアコスモスに出かけた
そこでは14時半から岐阜市長立候補予定者による公開討論会があった
SNSでこの情報を知ってから行くつもりでいたが、前日夜から当日の朝にかけて
お腹に違和感があり少し戻して、それ故に気力もなくなっていたが 
それでも「行ったほうが良い」との思いに駆られて、なんとかなるだろうと行くことにした

この「行ったほうが良い」と感じたのはひとつは、候補者の1人が昨年新城市のまちなみ情報センターで
行われた「おくみかわ市民政策研究所」主催の勉強会の講師であったこと
そしてもう一つは、新城市でも昨年10月の市長選の前に立候補予定者による公開政策討論会が行われ
単純にその比較ができると思われたからだ

と言っても、岐阜市の状況はほとんど、いや全く知らない
おまけに立候補予定者の名前も経歴も知らない
僅かに知っていることと言えば、岐阜市でも新城市と同様に市庁舎建設に関して、大きすぎるから
身の丈にあったものを、、とする意見が出ているらしいといういことくらいなもの

そんなに何も知らない状態で見聞きする意味があるかと言えば、知らないがゆえの強み
「討論会の情報だけで選択が可能か?」が確認できそうと思えたことだ
新城市の場合も3回行われた公開政策討論会が、真に選択の判断材料となったかが疑問に思えたし
現実に先の市議会での市長の答弁でも公開政策討論会が投票に影響したとは思われない旨の発言をしている

普通の日の14時半、どんな人が集まるのか関心はまずそこにいく
新城市の場合は木曜日の19時からで仕事が終わった人もギリギリ来られる時間だが
子供連れの方用にも配慮されている岐阜市の今回のイベントの会場のキャパシティは200名
始まる時間にはほとんどいっぱいとなった
そしてその傍聴人は新城市の場合と比べて年齢が若い人が多かった
(といってもあくまでも比較の問題、全体的には年配の人がメイン)
自分はFBでこの催しを知ったが、となりに座った人になんで知ったかを尋ねると
前日に岐阜新聞の記事に載ったからとのこと

会場の入り口には立候補予定のパンフレットが置いてある
三つ折りの手にしやすいものからA4のサイズのものまで
一応同じサイズのものを手にして始まる前に読んでおこう、、、、
とはしなかった
なんとなく体調不良で気力がなかったのと、あくまでも現場の情報で判断しようとしたためだ

少し不思議なことがあった
事前では立候補予定者は6人と聞いていた
しかし壇の上にある椅子は7脚、そして現実に登場した人数も7人
ところが、後でニュース放送されたテレビ番組では6人が討論をした事になっていた
画面に映っているのは明らかに7人、発言者の個別の紹介画面は6人分しかない
テレビ局はおかしいと思わなかったのだろうかと不思議に思ったし
最近のテレビを中心とするメディアへの不信感が募った
(どこかで6人の予定だったが、急にひとリ増えたとか何らかの説明があればいいのに
 画面の人数との整合性がなくて見てる人は変に思ったに違いない)

壇上に7人が揃って、第一感、一人ひとりが醸し出すオーラ・雰囲気だけで採点をすると
これはと思った人物が3人(経歴も何も知らない状態で)
その後、討論(というよりは考え発表)を聞いて、案外やり手かもと思った人物が1人
最初の3人は意見発表の場でもそれなりで、第一印象を崩すことはなかった

討論テーマは4つ 大雑把に人口問題、子育て教育問題、市民自治、雇用起業
各立候補予定者が持ち時間3分で話すことになっていたが、このテーマは新城市での
「どうなる人口?(人口政策)」「かせぐまち(産業政策)」「みんなでつくるまち(市民自治)」
をテーマとした討論会と被る
結局のところ、これらのテーマは日本国中の自治体が当事者として取り組み解決しなければならない問題なのだ
との思いを強くした、と同時にこの会場の立候補予定者の意見・考えの違いがはっきりわからなかった
部分部分は違うこと言ってても大枠ではみんな同じことを言ってる
(ある人とある人はここが違うがあそこ同じみたいな、、)
課題分析と解決法という考え方をしていけば自ずと似通った答えになるのかもしれない

極端な言い方をすると、少し視野が狭そうな印象を受けた二人を除いてあとの5人は部外者にとって
政策や考え方にほとんど差がない
とすると問題は政策の良し悪しではなく「誰に任すか」との選択になる
最後までやりきる力、忍耐力があるか、公平な視点が確保されているか、情報収収集能力に長けているか
人を使う能力があるか、市民にわかりやすく説明する能力があるか、、などなど
首長選挙というのは結局のところ「任せて安心」という人物を選ぶということなのではないか

その大切な選択のための情報提供がこの公開討論会で出来たかと言えば
個人個人の情報を何も持たない自分からすれば、すこし怪しいと言わざるをえないが
岐阜市民は自分のような何も知らない状態ではなく、既に何らかの情報(立候補者の経歴やしてきたこと)を
もっていると考えられるので自分の判断とは違うかもしれない

この討論会を見た(聞いた)限りでは、個人的には第1があの人、2番めはこの人と判断したが
現実の投票の結果とどの位差があるのか興味がある
それは選挙においては「地盤」「看板」の強さがものを言うことの証となるだろう

岐阜駅に向かうバスを待つ間に、同じく愛知県からこの討論会を見に来た人と少し会話をすることになった
「あれは討論会じゃないよな」「最後の方は聞いてて辛かった」
やはり同じようなことを感じたようだ
人数が多すぎるせいもあるが、一度にあれもこれもを取り入れたために
やっただけ!(主催者の苦労には申し訳ないが)の印象は拭いきれない
「任せる人」の選択という意味では、もう少し「人となり」を連想できるものが欲しかったかな

この日、体調不良にもかかわらず行って良かったと思ったのは、肝心な討論会の方ではなく会場となった「みんなの森 ぎふメディアコスモス」が
外は直線主体で、中に入れば緩やかな曲線が用いられたデザイン性が高い建物でとても気持ちよく、つくづくデザインってのは大事だな、、と実感できたこと
外へ出れば想定以外の何かの発見があるということ、、
田舎は住みやすくていいが、やっぱりたまには外の空気も吸わなくては、、


 

コメント
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