何故か頭の中に残っている事柄で、忘れないうちにアップした別の投稿からのコピペ
先日の日曜日(21日)新城文化会館の大会議室で行われた「健康・医療に関するシンポジウム」に出かけた
この日のテーマは「認知症」
連れ合いの方が若年性認知症になられた女性の生々しい奮闘ぶりとそれを乗り切ったきっかけや心構え
(詩集「感語詩」著者 小田尚代 氏 「あなたと行きたい、活きたい、生きたい」)
新城地区で行われている「認知症カフェ」取り組みとその現実的な効果
(グループホーム好日庵 管理者 山本恵子氏 「認知症カフェ」)
などが現実感をもって紹介された
幸い身の回りにはそういう人物がいない
だから恥ずかしながら何も知らないでいる、、というのが現実
(ほんとに何にも知らない、、)
ただ、祖母が寝込んで最後を迎えるようになった数ヶ月間のことを思い出すと
何時まで続くか分からない、報われることのない行為の家族の苦労やストレスはよくわかる
そしてそれが一瞬なりとも軽減されるのは物理的な協力と言うよりは
他人の共感とか寄り添う気持ちを感じられた時、というのもなんとなくわかる
人が人を理解するというのは言葉による説得などではなく、どういう訳か伝わる
「よく分かるよ、その気持」みたいな感情のことではないか、、
相変わらず本筋と関係ないことに関心が行ってしまうが
この日一番記憶に残ったのは講演で紹介された「注文をまちがえる料理店」という本のこと
奇妙なタイトルだが、間違えるのはそのレストランで働くのが認知症の方々であるためで
でも、間違ってもおいしいから、ま、いいか!と寛容になるひとびとのことが書かれているらしい
Amazonで調べてみると内容紹介には
「注文をまちがえるなんて、変なレストランだな」
きっとあなたはそう思うでしょう。
私たちのホールで働く従業員は、
みんな認知症の方々です。
ときどき注文をまちがえるかもしれないことを、
どうかご承知ください。
その代わり、
どのメニューもここでしか味わえない、
特別においしいものだけをそろえました。
「こっちもおいしそうだし、ま、いいか」
そんなあなたの一言が聞けたら、
そしてそのおおらかな気分が、
日本中に広がることを心から願っています。
「ま、いいか!」
このゆるい感じが自分はとても好きだ
そう言えば、作手でおばあちゃんたちがやってたレストランで自然薯料理をいただいた時も
段取りがよろしくなくて、あたふたとして時間がかかっていたことがあったが、その時も
「おばあちゃんたちも頑張っているから、ま、いいか!」と思ったことがあった
こんなのばかりでは世の中は困るかもしれないが、それでもちょっとした「ま、いいか!」の
余裕のある気持ちがいろんなところで見られるといいな
※でも、実はまだこの本注文していない、、ゆるいな、、