パンセ(みたいなものを目指して)

好きなものはモーツァルト、ブルックナーとポール・マッカートニー、ヘッセ、サッカー。あとは面倒くさいことを考えること

「世界に知ってもらいたい」と言う経験

2018年10月28日 08時53分48秒 | あれこれ考えること

安田純平さん絡みで最近有名になった4コマ漫画がある
学校の教室と思われる場所で、先生と教師の会話
1.何故ジャーナリストはわざわざ危険な場所へ行くのですか?(生徒)
2.誰かが危険な場所で何が起こっているか世界に知らせないといけないだろう
  何が起こっているかわからなければ世界は対策もたてられないからね(教師)
3.みんなは危険な場所で何が起こっているか知りたい(教師)
 シーンとして手を挙げる生徒はいない
4.じゃあ逆に君たちが危険な場所に暮らしているとしたら、世界にそのことを知ってもらいたい人(教師)
 生徒の大半が手を挙げる

この漫画を見た時に思い出したことがある
4コマ目の、世界に知ってもらいたい(他の地区の人に知ってもらいたい)と切に思ったことで
それは2015年の自分の住む町の出来事

この年の5月、新城市では住民投票が行われることになった
案件は新庁舎建設に関することで、庁舎の規模・予算が必要以上に大きすぎないか
身の丈にあった庁舎を建設すべきではないかとの意見と、
分散していた今までの庁舎を一棟集約して利便性の高いものを建設すべきとの意見の相違があった

ところが、住民投票となった投票の選択肢にはなんとも不思議な選択肢が議会で決められた
1.市道東新町桜淵線の路線の変更を伴わない現計画の見直し
2.市道東新町桜淵線の路線の変更を伴う現計画の見直し
このどちらかを選択し投票することになったのだが、一見して何を言っているのかわからない
個人的には庁舎についてはどちらの言い分もあるのだから、市民が選んだほうを実行すれば良いと思っていたが
この選択肢で住民投票を行うことについては強烈な違和感をもった

それで不可思議な間違いやすい、しかも内容のよくわからない選択肢を
わかりやすい間違いの起きないものに変更してもらうように運動、声を挙げたが
それは無視されて粛々と住民投票が行われることになった
この時に感じたことが、漫画の4コマ目のことだ
「世界の人に(他地区の人に)何が起こっているか知ってもらいたい」という思い
この時、実際に自分は他地区の友人(メディア関係の人もいた)にこの惨状(こんな選択肢で住民投票を行うこと)を伝え
なんとか外から自分の町の状況を変えてもらえるように期待した
そしてそれは必死な思いだった(この選択肢で住民投票を行うことは絶対に間違いだと)

結果的にこの選択肢の奇妙さはテレビ・新聞の注目を集め、連日とまではいかなくとも
大きく扱われ、市民全体の関心もアップして住民投票の投票率も予想以上に高いものになった

こうした経過を経験しているから、ジャーナリストが知らないところで何が起きているかを知らせることは
とても重要なことだとの認識がある
本来は自分たちの地区のことは自分たちで解決すべきことなことなのだろうが
残念ながら外からの何らかの力が働かない限り変わらないことは存在するのが現実

人は比較することによって初めて自分たちの考え方がスタンダードかどうかを判断できるようになる
そうして意味も含めて、他を知ること、物事を知ることは必要だし
その役割を果たすジャーナリストの存在は必要だということ
それにしても、あの時自分は本当に必死だった
(どちらの選択肢に投票してほしいというのではなく、こんなので進めて良いのかと)

コメント
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