今日から公開の映画「新聞記者」
見に行くのはいつにしような、、と迷っていたが、結局気が急いて
豊橋ユナイテッド・シネマの3時20分の回を見ることにした
観客は16人ほど、その時間を考えると多いのか、少ないのか
まずはこのような内容の映画が上映された事実が馬鹿にならない
フィクションというものの、誰もがすぐに思いつく実際の事件のエピソードが
散りばめられている(伊藤詩織さんの事件、加計学園を連想させる事件、前川さん絡みの事件、、)
不意に江戸時代の「仮名手本忠臣蔵」を思い出した
あの赤穂事件をそのまま実名で演劇化することはできないので、時代も名前も変えて
でも見てる方は何を暗示しているかわかっている歌舞伎
それは庶民のお上への反抗心だったのかもしれない
この映画から感じることも、ささやかな反抗のように思われる
歴史を書き残す人々はどこか誤魔化しをする(可能性がある)
それを見破ったり警鐘を与えるのが庶民の残すもの
万葉集の貧窮問答歌、防人の歌、四条河原の落書などはその時代を知る貴重な資料だ
公にフィクションと宣言しているものに、権力は(今のところは)手を付けられないだろう
映画はハリウッド映画の「ペンタゴン・ペーパーズ」と似たメディアが舞台の中心だが
派手でハッピーエンドに向かうアメリカ映画とは違って、地味な作り
時間があればもう少し劇的、まとまった内容にできたかもしれないが
現状では仕方ないかもしれない(予算も社会状況も)
映画のなかでリアリティを感じた場面は、松坂桃李の演じる官僚が自分の赤ちゃんを見て
自分の行っていることは正しいことなのか、、、と気づく(考える)シーン
多分人は子供を目の前にすると、どのような世界にしたほうが良いのかを考える(と思う)
自分は判断に困ったときはずっと昔から
「それが子どもたちにとって良いことかどうか」で決めることにしている
あと一つ、女性記者の父親の残したことば「何よりも自分を信じ、(それを)疑え」
これも実感として、ボヘミアン・ラプソディの「I decide who I am」と同じくら記憶に残った
臨場感とかスケール感はなかったが、見ておいて損はないと思われる
ところで主演の女優さんは韓国の方だ
日本人でこの役を演じるのはなかなか色んな面で難しそう
そういう心配をしてしまうこと自体が、あまり良くない社会状況を表しているのだろう
映画『新聞記者』予告編