よくよく今年は源氏物語に縁があるのかもしれない
今日、新城文化会館で行われた薪能のメインの演目が「葵上」だった
葵の上は光源氏の年上の正妻で、光源氏との子どのである夕霧を生むときに
生霊に祟られたようになって苦しむシーンが原作に有るが
この生霊の正体は光源氏の愛人(?)の六条御息所で
賀茂祭で車の戦いで恥をかかされた恨みと嫉妬がなせる技
幸い(今年は)物語を知っているので、能の「葵上」も舞台上の言葉が聞き取れなくても
わからなくても大体の内容は推察できる
でも内容は少し源氏物語とは少し違っている
最初は悲しそうな涙を流す姿として生霊は現れるが
しばらくすると般若に面を変えた六条御息所が登場し嫉妬とか恨みを連想させる
ここで修験者と生霊との戦いがあって、声、鼓、笛によって熱っぽい舞台が繰り広げられる
やっぱり鼓と笛の音は好きだなと、またもや感じたのだが
不意に文化会館のような室内よりも篝火の焚かれた屋外の闇の中でしたほうが
幻想的とか雰囲気があっていいかもしれない、、とも感じたりした
10月の富永神社のお能の上演は虫の声が聞こえるが、その雑音すら必要不可欠なものに思えてしまう
能のタイトルは葵上だが、葵の上は場面に登場しない
ただ舞台の前の方に葵の上を象徴する衣装が置かれているだけ
能は説明しすぎない、見る方の想像力を期待する芸術で
楽しむには少しばかり約束事とか知識を必要とするかもしれない
(踊りの所作に意味があるようだ)
そこで思ったのは、この葵上を楽しんだ昔の人達は源氏物語の「葵の上」のことを知っていたのだろうか
知っていたとしたら、やはり源氏物語を読んでいたのだろうか
昔の人は「源氏物語」は教養とか当たり前の知識として楽しんでいたのだろうか
でも能好きとは言え、織田信長が源氏物語を読んでいたとはイメージしにくい
ただ能の演目としての「葵上」を楽しんだのだろうか
能もオペラ上演のようにサイドに字幕があれば、今の人間にももう少し楽しむことができるかもしれない
狂言の会話はは何となくわかるが、能はよくわからない(予習して見に来てということかな)