朝、覚めたらセミの声が聞こえた
夏の朝だ、今日も暑くなるのだろうか
まだ眠たい頭でぼんやりとそんなふうに思っていた
突然、松尾芭蕉のあの俳句のセミはこの種類のセミじゃないなと頭に浮かんだ
「閑かさや岩にしみ入る蝉の声」
山形県の山寺で作られたこの俳句は、蝉時雨の騒音が聞き慣れるうちに静寂に
変わっていく様を「岩にしみ入る」の言葉で表している
でも今朝のセミの鳴き声は、どれだけ集まっても「岩にしみ入る」よりは
「岩にしみ付く」という感じだ
芭蕉の聞いたセミは何という種類のセミだったんだろう
イメージの中のセミよりは、現地に赴いて実際に味わってみたい気分になった
イメージの中の映像とか音というのは、本当のものより効果的に感じる
詩人は、イメージをデフォルメするので実際の姿を描写しているわけでないともいわれる
芭蕉の「古池や蛙飛びこむ水の音」は
蛙がポチャンと池に飛び込んだあとの静寂をイメージしているが
蛙は実際には飛び込まず、しずしずと池に入っていく方が多い、、と文句をいう人もいた
「荒海や佐渡によこたふ天河」
の俳句も、荒海の状態の天候では天河は見られないのじゃないのか、、という人も
しかし、イメージされる世界は、実際には無いとしても、とても侘びしかったり壮大な感じがする
よく映画よりは原作の本(小説)のほうが面白いと言われることが多いが
きっとイメージしている世界のほうが、わかりやすく目前に示された世界よりは豊かなんだろう
ところで、山寺のセミの種類、、きっと調べている人はいるだろうな
一人が思うってことは、何人かが思うってことだから