パンセ(みたいなものを目指して)

好きなものはモーツァルト、ブルックナーとポール・マッカートニー、ヘッセ、サッカー。あとは面倒くさいことを考えること

法律と生活実感

2019年10月22日 08時29分27秒 | あれこれ考えること

「when I was younger so much younger than today」ではないが
自分が若かった頃、信州斑尾のペンションで東京の方と交わした会話を覚えている
その方は「静かすぎて、怖くて眠れなかった」と言った
普段は車が行き合う賑やかな音の中で寝ているものだから、音が何もない世界、聞こえるのは虫の声
というような生活感のない世界は慣れてていないので眠ることができない、、というのだ

時々東京に出かけて、夜になって自宅に帰るとき、その帰り道で感じるのが
自然が大きな呼吸をしていて何か大きなものに包まれてような感覚
この静寂はとても安心感を覚えるのだが、都会の人は生活感の無さに
不安を感じるのかもしれない

今まで静かだったが急に予想外にストレスを感じるほどやかましくなった場所がある
昨日の新城市の鳳来地区の「地域意見交換会」でのこと
切実感をもって女性は訴えた
新東名高速道路ができて、そこから漏れてくる音がひどい
防音壁がない部分から、防音壁で抑えられた音が一緒になって却って大きな音が漏れてくる
それも夜中に多い
縦列走行をしているバイクの音もやかましい
夏は窓を開けて寝ていたい(お年寄りが多いので)が、それができない
(位置関係がよく解らなかったので正確なことはわからないが、このようなことをいわれた)

最初の予想と実態が外れることはよくある
ましてその最初の予想が、どうしてもやらなければならない事業である場合は、その数字は
お手盛りと言うか、都合の良い数字を書類に残される
(オリンピック開催時の東京の気温は申請段階では運動に快適な気温としていたとか)

この騒音に悩まされている地区も事前の調査とか予想ではここまではなかったようだ
ところが現実はイライラが募り声を上げざるをえない状況にある

このようなとき法律は親切とは言えない
この地区の用途地域(?)の騒音レベルは、住居専用地域とは違うのでこれこれの数字で
現在の数字はその範囲内に収まっている
騒音レベルの調査をしたことがあったが、その場所はカエルや虫の鳴き声がするので
正確な騒音を計測はそれらが活躍しない冬の時期に行ったが平均で50デシベルだった
(騒音とは言えない?)


いつもは法律用語で人間味のない答弁をする環境部長だが、この日は
「とは言うものの、騒音は平均値となっており瞬間的にはかなり大きな音も
 存在したとも思われますし、そうした生活実感とはかけ離れた思いを持っておられるので
 そのところは、苦情として地域の方たちの声を書面として市とかNEXCO中日本に
 届けるというようなことをまずはなされると良いと思われます」
と何時になく親切な物言いをした
(生活実感と異なる測定数字の問題は、新城南部地区の悪臭についても同様なのだが
 何故か、こちらの方の物言いは冷たく突っぱねているように思えてならない)

ここで感じるのは生活実感と法律の乖離
そして世の中というものは(知らないでいるが実際は)法律というもので
事細かく決められているものだということ

生活実感と異なる法律の運用、一般的な倫理観と異なるような判決(強姦事件についての)
これらは「仕方がない」で済まされる問題ではないような気がしている
文書解釈と運用のプロとしての職員や官僚さんは、生活実感に寄り添った判断を
するってことはできないのだろうか
(大岡越前とか遠山の金さんがいたら、、、と思ったりする)




コメント
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