そのポテンシャルは抜きん出ているにもかかわらず
「桜を見る会」の問題については誰もが嘘をついてる
と思うような発言を繰り返す官僚さんたち
彼らは失言をしないが、その発言があまりにもありえないので
「知っているのに話さない」と普通の人は感じてしまう
この官僚さんの態度について先日テレビのワイドショーで一人は
「こんなことをしなければならない官僚さんが可愛そう!」
と同情的な発言をした
それを聞いた別の人物は
「官僚は誰のための公僕か、政権や自分を守るためであってはいけない
だから少しもかわいそうとは思わない。むしろ、、、」
SNS上でもこの2つの意見が乱れ飛ぶ(後者のほうが多いが)
東大まで行ってこんなことをするために公務員になったのではないのに
とか
目覚めてほしい
だとか
一方、手厳しい方は
嘘を貫き通したら出世の道が待っている、官僚はそんな打算的な人物ばかりだ、、、
とか
森友学園騒動の佐川さんのときから、官僚とか公務員はどのような考え方をするのだろう
と興味を持った
それで少しだけ調べてみると
国家公務員法では「上司の職務上の命令に従わなければならない」との文章があることを知った
どんな場合でもこれが守らなければならないか、、の問題は一旦保留しておいて
現実にこのような決まりが存在することはかなり大きい
マックス・ウェーバーの「権力と支配」によると、官僚は「伝統的支配」「カリスマ的支配」
「合法的支配」があって現在は「合法的支配」がほとんどの国で行われている
これは全く文書主義で専門的な知識が必要となり、基本的には誰が上になっても同じ様に
理屈に則って行うことになっている
ところが、人間社会はそれほど簡単な世界ではない
支配の定義がどうであれ、ウェーバーの支配の理解に欠けているものがあるような気がしている
それは現実的な韓非子が残したような「金による支配」「あるいは地位(名誉)による支配」だ
官僚さんとて生活者、お金もほしければ名誉もほしい
そこでそれを実現するために合法的(と自分を思い込ませて)上司の命令を聞く(これも合法的)
難しいことを考える智慧がない庶民は単純な「良い悪い」の判断を下す
それは思いつくままであったり、感情の赴くままの傾向が大きいかもしれない
しかし、だからといって素人の発想が間違っているかといえば
必ずしもそういうわけでなさそうで、素人は「自然法」に基づく判断で
玄人は「実定法」に従っているだけのような気がする
この実定法は、人間社会の試行錯誤によっていろいろ変化する
(今まで許されていたものが許されなくなったりする)
ワイドショーの二人の意見
官僚さんはかわいそう、、と、唾棄すべき人間たち
果たしてどちらなのだろう
自分はこの2つの中で揺れ動く
可愛そうだと思ったり、自分勝手で耐えられないとか
それでもどうしても期待してしまうのは、自分の判断をする勇気をもった官僚さんの出現
前川さんのいう「面従腹背」をそつなくできる優秀な人
あるいは度胸のある人、、、
そういう人、現れないかな、、