菅さんが総裁選に不出馬のニュースが突然出てきて、昼のワイドショーはその話ばっかりになっている
残念ながら現在のところ日本の首相は実質的にはこの自民党の総裁選びで決まる
それで良いのか、、という問題はさておき、この手の権力闘争の話が大好きな人たちは存在する
先日、ワイドショーのコメンテーターの一人が、周りにはこの話で嬉々として盛り上がっている人たちが
存在することと、この手の話に全く興味がない人たちが同数程いることを合わせて紹介していた
現在の優先順位は権力闘争ではなくて、緊急を要する課題にどのように向かっていくかとすべきで
騙し合いのような権力闘争には嫌悪感を持つ気持ちはわかるし、自分もそのような感じ方をする
ところが、権力闘争は勝ち負けがはっきりするので、それ故に当事者はもちろんだが
外野の人間も奇妙に燃えることがあるようだ
その中に、選挙好きと言われる人たちがいる
昔は選挙事務所でお酒を飲ませることもあったので、飲兵衛は酒さえ飲めれば対立候補の事務所でも
平気で赤い顔をしてることがあった(子供の頃の記憶)
だが飲兵衛以外の人でも熱くなるのは(自分の商売に関係する人は仕方ないとしても)
思うに勝負ごとのせいではないだろうか
この勝負ごとが好きというのは、人が持っている習性のようなもので、どうしようもないかもしれない
(子どもは何でも勝つのが好きだ)
自分はそうではないが、戦国時代の好きな人はいる
マニアになれば専門家に劣らず、人間関係や勢力の背景などを理解して、その時の戦国大名の判断を批評する
そしてそれが正しかったのか、、と考える
ところが、そこにあるのは「生き延びるための方法」で、仮に天下をとったならどのような社会を作り出そうと
しているかといったヴィジョンに賛同しているわけでもなさそうだ
つまりは、どの時代も大きな社会ヴィジョンを求めるよりは、誰と誰が戦えばどちらが勝つといった
単純化されたものに、より血が騒ぐものらしい
問題は勝負ごとに血が騒ぐことは認めるとしても、果たしてその勝負の結末に終止するようなメディアの伝え方は
今の時代、今の状況下で正しいのだろうかということだ
メディアの果たす役割は大きい
それ故に、どうしても期待を込めてあるべき姿を求めてしまう
だが現在のこの国のメディアは、大丈夫なのか
これがずっと気になって仕方ない
首相会見の記者クラブの質問の体たらくとか
「誰々がこう言った」とよく考えずに伝えるだけのニュースは、時に怒りを覚える
ということで、今後のニュースの方向性は権力闘争、、つまりは戦国時代の勝ち残りは誰か
という視点でしか伝えられないような気がする
これが不安 それで良いのだろうか
テレビ局がいいところを無理やり探そうとしても、プレイした当人の吉田は
「負けるべくして負けた」とインタビューに答えた
ワールドカップアジア最終予選の初戦 オマーン戦は終了間際に失点で0−1の敗戦
試合を見ていて引きわけの勝点1で喜べるのはオマーンより日本の方だった
そのくらい日本は良くなかった
前半戦で微妙なPKシーンがあった
相手の蹴ったボールが長友の手に当たったとして審判はPKを指し示したが
VR判定で危うく逃れることはできた
長友は腕を体側にピタッと付けていたのでハンドを取られなかったようだ
これがPKで決まってしまったならば、昨日の流れでは同点に持っていくのは
大変だと思えたし、そこで決まってしまうのかもしれないと予想した
PKにならなかったのはラッキーだったが、昨日の出来をサッカーの神様は許してくれなかった
最初からずっとオマーンのほうが推進力も迫力もあった
シュート数がホームの日本より勝っていた
選手のコンディションも連携も、この日のために一ヶ月以上練習をしてきて
更に日本での練習も万全だったチームに、試合の数日前に集まったばかりのチームが戦うのは
少しきつかったようだ
試合前の個人的な不安は右の伊東と左の原口のスタメンだった
実績とか最近の成長を見ての抜擢だったかもしれないが、たしかに伊東は速い
だがそれは右サイドを駆け上がるときで、それ以外は数人で器用にパス交換をして
崩していけるタイプではない
原口も豊富な運動量で献身的であってもチームとして機能するかは疑問のところがある
その二人に鎌田が上手く絡めるかと不安だったが、そのとおりになった
頼みの大迫もイマイチだった
マークされているとテレビは彼をかばったが、試合慣れしていない感じがもろに見えた
試合はミスも多かった
横のパスは何回か簡単に相手に取られたし、クロスはポイントが合わないだけでなく
相手DFにぶつけてしまう場面もちょくちょくあった
つまりは、上手くいかなかったということだが
物事は準備で決まる、、という母の言葉を、オマーンの準備で思い出す
それにしても、また実感するのは日本はストライカーが育たない国だ
1番先にいる選手は、ポストプレー、前からの守備、チャンスメーク
その他いろいろな役割を要求される
それはゴン中山とか岡崎慎司のひたむきな姿の影響が大きい
とにかく戦う姿勢を見せるところが日本人の感情を刺激する
ところが、前目の選手の仕事は点を取ることだ
FWは何回ミスっても、たった一度上手く行けばヒーローになれる
そういうものだが、それだけをする選手を日本人は
心情的に許せないのではないかと思えてしまう
(一生懸命と見える姿を見るの好きなのだと思う)
メッシがアルゼンチン代表でワールドカップで戦っていた時、彼は歩いていた
自分には関係ないといった素振りで、近くにあるボールを追いかけようともしなかった
だが、チャンスが来ると、彼は相手の嫌がる決定的なプレーをした
メッシだからそれは許される、、との言い分がありそうだが
そればっかりではない気がする
エネルギーは肝心な時のために取っておくのは必要なことだ
ドイツでは数人集まるとシュートの練習をして、オランダはパスの練習をする
と国民性を表す例として挙げられたことがあった
そこで日本を考えると、きっとシュート練習は少ないだろうと想像する
ボール回し、相手の崩し方、数人での守り方、、そういった方面に時間を費やしそう
だが、お隣の韓国はシュート練習は多そうな気がする(気がするだけだが)
結局はお国柄なのだろうが、そこには改めて考え直さねばならない問題がある気がする
ところで堂安、古橋、久保の選手交代は、自分でもそうしたいと考えたものだった
(そこは少し自慢なのだが)
彼らに交代して少しパス交換が増えて可能性が僅かに感じられたが
代表選手は合わせる時間が短いので、相性というものが割合重要なのではないか
その選手同士の相性を見極めるのも監督の重要な仕事だろう
それにしても前の人材がいない、、、
自分で自分のシュートチャンスを作り、シュートを決める力のある選手がいたら、、
とつくづく思う
それを思うと、釜本とかカズが得点が多いのは、他人だよりばかりではなく
自分で持っていける力があったから思えてしまう