若者言葉は知らないものが多いが、先日「親ガチャ」という言葉を知った
コインを入れるとカプセルの中の景品が手に入る子供にはおなじみのガチャガチャでは
当たる景品は開けて見るまでわからない運任せなことを
どんな親のもとに生まれるかも運任せと表現している
親の経済力の差によって、子供の未来がある程度決まってしまう現在の状況は
少し想像力を働かせばわかる
就職の際に良い企業に就くための要因となる大学にしても、経済力がある家庭は
受験対策が家庭教師なり予備校でしっかりできるし、また娯楽の分野でも
少しばかり優雅なものに触れられ、人間性を育む機会は大きい
親が裕福でないところに生まれた人は、少しばかり自虐的な意味合いを込めて
親ガチャに外れた、と言うらしい
これは偶然、昨日扱った下の所得階層の人は上の階層に行けるか、、
という話につながる
明らかな傾向として下の階層(一番下)の人は上の階層まで行けない(確率が高い)
(アメリカン)ドリームはドリームに過ぎない、、と考えるのが現実だ
問題はここからで、現在の若者の認識は自分の運命は親次第(今の境遇次第)で
ステップアップするのは簡単じゃないと感じている
こうなると若者の中には自虐的にいろんな夢を諦めるとか無気力になる人も出てくる
一方、このような固定した社会になっているのは何かがおかしい
誰かが独占的に得しているせいだ、、と考える人も出てくる
両極端だが、それらが生まれるのは心情的に理解できる
社会的な影響力を持つべき若者にはどのような行動が望ましいかと考えると
無気力なのはいただけないし、一方的に何かを攻撃して自己満足されるのも困る
望ましいのは程よい理性的な行動なのだが、残念ながらこの手はあまりにも平凡で
他への影響力は小さい
むしろ過激な仮想敵国のような目標をもった感情に直接に訴える方法のほうが
わかりやすさのために支持を得やすい可能性もある
だが、この馬力のある怒りの行動は、何故か若者の中には起きない(と思えてしまう)
自分たちの境遇や未来は自分たちで掴んだり作るのではなく
自分たちが選んだ(しかし選挙にはいかない)人任せで
その選択すら多くの人が選んだのだから間違いはないだろうと思考停止して
安易に現状を容認している(ように見える)
なんでそうなってしまっているのか?
は外国人による日本人論を期待したほうが客観的に理解できるかもしれない
ただ明らかに固定化されつつる、豊かな中間層のない今の社会を、
時間がたっぷりある人たちは、自らどうしようとするのだろうと考えると
少し不安になってしまう