パンセ(みたいなものを目指して)

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国家はなぜ衰退するのか

2021年09月11日 10時23分58秒 | 

読書感想文は後書きを読んで、それをまとめるのが要領のいいやり方だと
この宿題に取り組んだ人は心当たりがあるに違いない
そんなことを思い出したのがこの本「国家はなぜ衰退するのか」
(ダロン・アセモグル&ジェイムズ・A・ロビンソン)

昔のことを思い出したが、科学の論文は最初に要約の部分があって全体の内容はそれを見れば
だいたいのことがわかるようになっている
後に続く膨大な部分はその検証とか思考過程を示していて、後書きと似た役割を果たしている
それらは確かに無駄のないエッセンスの集まりで、前書きとか後書きを読むのは
本を(論文を)読んだ気になれるいい方法だ

本を読んで自分の感じ取ったことが部分的に過ぎないのではないかと気になることは少なくない
正直なところ、この本においても本質的なところ以外の要素として
ヨーロッパ人がアメリカ、南アメリカ、アフリカ、アジアにしてきたこと
(主に植民地政策として)のえげつなさには辟易とし、それが猛烈に印象に残ったのだが
今回は幸い後書きにあるような本質部分も記憶に残っている

この本では、本文でも後書きでも長期的な経済発展の成否を左右するもの最も重要な要因は
地理的・生態学的環境条件の違いでも、社会学的要因、文化の違いでも、
いわんや人々の間の生物学的・遺伝的差異でもなく、経済的制度の違いであるとしている

この制度の違いというのが、包括的な政治制度ーその極限が自由民主主義ーと
包括的な経済制度ー自由な(開放的で公平な)市場経済との相互依存(好循環)
それと裏腹の収奪的な政治制ー奴隷制、農奴制、中央司令型計画経済等ーとの
相互依存(悪循環)というメカニズムが存在する

何やら難しい表現だが簡単に言ってしまえば、悪循環の方は少数者の権力者の
自分たちにとってのみ都合のいい社会システムで、
好循環が人の倫理感や正義感に基づく社会システムのことを表している
アフリカも南米の国も、その他の国もヨーロッパから産業革命の影響を受けて
機械などを導入し発展するチャンスはあった
しかしそれが実現されなかったのは、少数の支配者が自分たちの立場、利益を守るためだけに
行動したことが大きな理由としている
そしてこの例から、結局のところ一部の特権階級の人たちの利益のみを守ろうとするのは
結局は国家の衰退につながると想像させるように書かれている

これを架空の出来事ではなく、我が国のことを念頭において考えると
例えば、科学的な遅れ(コロナ禍のデジタル技術のお些末さはショックだった)とか
肩を並べていたと思っていた国にいろんな経済的数字で(全体ではなく個別計算したときの)
置いてけぼりにされつつあるのを見ると、日本は衰退気味と感じざるを得ないのだが
それはこの国の実質的な支配層と思われる人々が、全体の利益よりも自分たちにとっての利益にのみ
興味があるような考え方や行動(収奪的な政治制度)に起因しているのではないかと想像できる

ならば実際に衰退を感じた時、多くの人は何をすれば良いのか、、
が問題となるのだが、それは当事者である人々が自覚して行動するしかないのかもしれない
フランス革命が結局のところ良いものか悪いものかは(その後の混乱とか恐怖政治等で)
微妙とされる考えもあるが、一つ大いに参考になるのは、庶民の力で王政から自ら
民主主義を手にしたという点だ
何かを得るには当事者が頑張るしかない
当事者が頑張ったあとは貴族的な精神の持ち主(ノブリス・オブリージュが身についている人)が
中心になる方が現実的・効率的となると思われるが、ここが欠点の多い人のなすことで
良い人間がずっといい人のままでいることの保証はない

結局のところ欠点の多い人間(という生物)のつくりだす社会という生き物は
あるところで偶然に左右されて、一時期うまくいくことはあって
それを持続可能なように一般化しようとしても、そこには常に当事者同士の利益の奪い合いがあって
なかなかうまくいくとは限らないかのようだ

つまりは永遠の未完しかないのかもしれない
でも、多分、あるべきものを(理想)求め続けること、諦めないこと、自分ができる範囲で頑張ること
そうしたことが大事だと、まだ諦めが支配するメンタリティになっていない今は思う

コメント
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