6時少し前
あと5分!
温かい布団の中でそう思う
同居人が早起きし、使命感をもって決まった作業をする音が聞こえる
5分では眠ることもできないが、それでも目を瞑って寝ようとする
それは無理だと思うと今度は何かを考えようとする
人と話すことは多くなくても、自分と話すことは多い
生活は日常の作業とか、何かに反応することの他に内面の生活がある
大げさな難しいことを考えるのではなく、ただ感じるというのも
内面生活の一部だ
布団の中で見たフォローしている人のツイッターが気になった
「「心穏やか」でいたいから政治には関わりたくない
発言したくない、見たくもないという人が多い。
そういう人たちにとって、政治に関して問題提起したり
文句を言ったり批判をする人たちは「意地が悪い」人物に見えるらしい。
こういう人たちは、基本的に「心穏やか」でいたいから権力側に味方する。」
なるほど、これは言えるかもしれない
「善人の沈黙」という言葉とかハンナ・アーレントの「全体主義の起源」の
こうした無関心層が全体主義を支持した形になってしまうとする分析にあるように
自分らが経験する現実社会でも、なにか問題提起をする人は意地が悪いと思われる傾向にある
ただ無闇に文句を言っているのではなく、詳しく説明すれば分かってもらえることは多いが
それには1対1での説明が必要になる
1対多では話の仕方が雑になる
1対1、あるいは1対3くらいまでは丁寧な説明ができるが、それ以上になると
どこか単純化してわかりやすさだけを求めてしまう
(あるいは誰々が悪いと結論づけることが多くなる)
どうやって丁寧に個人に説明していくかなどと考えていると、起きる時間が来た
睡眠時間は8時間ほど
寝不足はありえない生活だ