大阪は変わってるな、、と他所から見ると思う
阪神への愛情はマゾっぽいようなところも含めて異様だし
維新に対する支持も、あれだけいろんな問題を起こしているところを
見るにつけ、メディアが後押ししているとはいえ理解できないのが本音だ
以前は大阪の代表的な存在の吉本新喜劇が好きだった
でも今は見ていない
以前と比べて安心して見ていられる様なところがない
つい昔を思い出すと時間の経過を感じてしまう
数ヶ月前の新聞記事にはおばあさん役の桑原さんの死亡記事が片隅に載っていた
数年前に亡くなった島木譲二さんを自分は大好きで
舞台ではいつも同じことをするのだが分かっていても笑ったし
とてもほっこりした気分になれのだった
人相とは違って、やさしそうな彼の人柄が滲み出ているようで
この人、本当にいい人なんだろうな、、と勝手に思っていた
吉本の笑いは変質した、、と根拠もなく思う
いつもヤクザが出てきた新喜劇
そのヤクザもどこか抜けていて、それらの人々が暮らしていける大阪は
懐が深いというか、ある意味世間を反映しているような気がしていた
でも、自分が年令を重ねたせいか今の吉本新喜劇の笑いについていけない
(松本人志のような笑いにも)
何かキツイのだ(攻撃的な感じがしてしまう)
そして、フト吉本は関東(東京)の影響を受けているのではないか?
と思ったりする
自分はお笑いはほっこりする様なお笑いが好きだ
落語の「文七元結」「芝浜」「井戸の茶碗」などは
時代劇の勧善懲悪のような予定調和の世界で(安心して聴き終えられる)
この話を見聞きした人ならきっと感じる「人の善性」は
安心感と社会としての調和を体験することになるだろう
仏教の和尚さんが人に向けて生き方を語る場所を高座といって
落語の高座というのは、そこから来ているらしい(?)
つまりは笑う場所だけでなく、教育的な要素もあったらしい
ということで、お話は、特に年末年始に体験するそれらは
明るい希望に満ちた話が良い(教育的にも)
ドイツではこの季節にモーツァルトの「魔笛」が上演されるのが定番だそうだ
確かに魔笛の肯定的な「それで良いのだ!」と思わせる内容は
ドイツ人でなくても適切な出し物だと思う
ちょいとネタ切れ気味のこの頃、やっとやっとで日課終了
大好きな落語「井戸の茶碗」はこんな話↓↓
古今亭志ん朝「井戸の茶碗」<有頂天落語>